野底のことを調べている
「野底山を知る」の会報は大変貴重な情報の宝庫だ
上郷図書館蔵書
めくっていると昭和5年の地図が目に入る
早速コピーして道路は茶色、川は水色に彩色
左上が現在の多摩川精機右手が飯田市上郷柏原地籍
今は飯田風越高校があるところ
柏原は明治の時代から開墾されたそうだ
この地図最初に見たときどこだか見当がつかなかった
左下に電車線路が走っている
この形と駅の位置から切石駅だろうと思ったが
凡そが分かるに時間がかかった
中央に走っているのが大平街道
これ以外の道は新しい道が拓かれ
ほとんどの道は旧道として一部形を変え残っているのみだ
さて
柏原に「猪土手」が有ったという
赤色に着色
右下に「柏原稲荷 文中では「一本足の鳥居」」とある
黒田の八幡社か光福寺或いはそういったものがあるのか?
10/19野底山へ行ったついでに寄ってみた
そしたらピッタシ当たりましたお稲荷さんに
立派な鳥居を持った柏原稲荷社
右側の石柱にいわれが書いて有りました
『柏原稲荷社移転遷宮
奉納 昭和57年3月北原順之助(大南)
これより下100mより移転する』
前での畑にセニアカーでお見えの人に伺う
耳が遠いので何回も繰り返し大きな声でお話ししたが
よく分からなかったが
どうも屋号大南の北原さんらしい
稲荷社のあった土地が売られて今の場所に移転したらしく
柏原の何件かで祀っているそうで大変ご利益があるとのこと
猪土手のこと
一本足の鳥居のことも聞きたかったが
ちょっと無理っぽく諦めた
ただ、柏原の平にあることが分かった
また100m下あたりが標高600mとなりピッタリ
稲荷社の南方に見える堤から
稲荷社に向かう道だがどういう道かよくわからぬ
堤から北の野底川にかかる氷倉橋へ行く道だと分かりやすい
「木曽山脈東南麓に残存せるもの
飯田地方の猪土手」として
飯田中学現在の飯田高等学校教諭がまとめたもの
北原 寬(1932):飯田地方の猪土手-木曾山脈東南麓に残存せるもの.信濃,1,423-426.
詳しくは次に詳しい
https://www.geoenv.tsukuba.ac.jp/~chicho/nenpo/35/10.pdf