23.10/18 猪土手 | 田舎のあれこれ

田舎のあれこれ

信州信濃の「田舎のあれこれ」

野底のことを調べている

「野底山を知る」の会報は大変貴重な情報の宝庫だ

上郷図書館蔵書

 

 

めくっていると昭和5年の地図が目に入る

早速コピーして道路は茶色、川は水色に彩色

左上が現在の多摩川精機右手が飯田市上郷柏原地籍

今は飯田風越高校があるところ

柏原は明治の時代から開墾されたそうだ

 

この地図最初に見たときどこだか見当がつかなかった

左下に電車線路が走っている

この形と駅の位置から切石駅だろうと思ったが

凡そが分かるに時間がかかった

中央に走っているのが大平街道

これ以外の道は新しい道が拓かれ

ほとんどの道は旧道として一部形を変え残っているのみだ

 

さて

柏原に「猪土手」が有ったという

赤色に着色

 

右下に「柏原稲荷 文中では「一本足の鳥居」」とある

黒田の八幡社か光福寺或いはそういったものがあるのか?

10/19野底山へ行ったついでに寄ってみた

そしたらピッタシ当たりましたお稲荷さんに

立派な鳥居を持った柏原稲荷社

右側の石柱にいわれが書いて有りました

『柏原稲荷社移転遷宮

奉納 昭和57年3月北原順之助(大南)

これより下100mより移転する』

前での畑にセニアカーでお見えの人に伺う

耳が遠いので何回も繰り返し大きな声でお話ししたが

よく分からなかったが

どうも屋号大南の北原さんらしい

稲荷社のあった土地が売られて今の場所に移転したらしく

柏原の何件かで祀っているそうで大変ご利益があるとのこと

猪土手のこと

一本足の鳥居のことも聞きたかったが

ちょっと無理っぽく諦めた

 

ただ、柏原の平にあることが分かった

また100m下あたりが標高600mとなりピッタリ

 

稲荷社の南方に見える堤から

稲荷社に向かう道だがどういう道かよくわからぬ

堤から北の野底川にかかる氷倉橋へ行く道だと分かりやすい

 

「木曽山脈東南麓に残存せるもの

飯田地方の猪土手」として

飯田中学現在の飯田高等学校教諭がまとめたもの

北原 寬(1932):飯田地方の猪土手-木曾山脈東南麓に残存せるもの.信濃,1,423-426.

 

詳しくは次に詳しい

https://www.geoenv.tsukuba.ac.jp/~chicho/nenpo/35/10.pdf