23.07/27 木曽 読書発電所蘭川発電所妻籠発電所 | 田舎のあれこれ

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国の重要文化財である読書発電所及びその関連施設

蘭川発電所 妻籠発電所探訪の旅

探訪の順は妻籠・蘭川・読書発電所、読書ダム、柿其水路橋、桃介橋となった

 

読書村:1874年(明治7年)9月7日 - 筑摩県筑摩郡与川村(がわ)三留野村(どの)・柿其村(かきぞれ)が合併して各村の頭文字を使って「読書村」とした 現在は南木曽村

読書ダム 堤長293.8m 高さ32.1m 洪水吐ゲート5

昭和35年完成

手前の水圧管路は維持流量発電設備

ダムに新たな穴をあけずに

サイホンの原理で管路に水を導き発電する

左端の緑色の丸いふたが見えるがその下のタテ型管路内に

水車と発電機が一体となって設置されている

落差22.5m 水量毎秒2.82㎥ 総合効率0.8 出力490kW

平成23年6月運転開始

水圧鉄管の末にバイパス管が見え水車発電機点検等の

バイパス機能が用意されている

 

柿其水路橋 鉄筋コンクリート作り 全長142m

水路寸法 幅6.8m高さ5.5m 近代化産業遺産にもなっている

読書発電所4号機取水設備

4号機も読書ダムから取水するが

ここ柿其川からも取水する

見事なエメラルドグリーン 

阿寺渓谷は北となり

 

読書ダムの完成前はダム上流2.56kmの

野尻森林鉄道木曽川橋梁あたりに取水堰があり

経路途中の阿寺川からも取水していたようだ

 

桃介橋 

三留野駅(現南木曽駅)から資材運搬用に架けられた橋

全長247m 幅2.7m 主塔3つ

真ん中の主塔には石の階段があり河原へ降りることができる

芝生はマレットゴルフ場になっている

トロッコのレールが二本走っていた跡が分かる

背景は右岸側

橋げた主塔にはトロッコのレールが残っている

読書発電所

大正12年1923年12月1日完成 100年を経て現在も現役

建屋の意匠は素晴らしい

1~3号の発電機は右の建屋に収められ出力は44,400kW

落差112.12m 水量毎秒45.91㎥ 総合効率0.88かな

 

4号機は昭和35年1960年11月16日完成

74,600kWで発電機建屋もサージタンクも地下式でみえない

落差111.89m 水量毎秒75㎥ 総合効率0.9かな

 

右矢印が第4発電所への搬入口及び屋外にある

主要変圧器に至る幹線の通路

左手の矢印が放水口

搬入口 右手がIPB相分離母線で各相ABCで表示されている

水圧鉄管 溶接ではなくリベットで管を構成している

造られたときは、厳ついものであっただろうが

これも惚れ惚れする「意匠」となって現在に至っている

 

発電所近景 半円形の窓、屋上に突き出た明り取り

屋上近くの壁に四角のいくつもの彫刻が施されている

50cm?四方の彫刻

これまた見事

何の意匠なのか知りたいところ

桃介記念館にヒントがないかと見学したが残念

記念碑

福沢桃介が題した「流水有方能出世」

『流れる水は方法によっては電気にすることができ、

世の中の文明を開くことができる』という意味

下の書は桃介の腹心、三根正亮によるもの

『民間の75万6千人余人が建設工事に携わる未曽有の大工事で、2年余りの工期中、天災・地変・山崩れ・落石・落橋など幾多の災害に見舞われ、鳥肌の立つような思いで施工した。』

そして工事関係者への労苦と功績を称え『天を開き、人を利することこそ、会社の使命である。大正12年12月』と 刻まれている。

以上日本電気協会中部支部「福沢桃介が大同電力㈱時代に 建設した発電所の遺構・記念碑 (その1:木曽川水系発電所の電力を中部、関西、東京へ)」より引用