22.07.04 信濃鉄道案内 | 田舎のあれこれ

田舎のあれこれ

信州信濃の「田舎のあれこれ」

この信濃鉄道案内鳥瞰図の発行は

昭和5年1930年ころ

信濃鉄道が沿線案内に発行したものだろうと想定する

「信濃鉄道案内」表紙

信濃鉄道案内鳥瞰図

大正5年1916年松本から信濃大町まで開業 

大正15年開業~昭和13年閉業の子会社の

池田鉄道も安曇野追分から北池田まで描かれている 

昭和5年10/28開業の「おかめ前駅」(現北細野駅)なし 

昭和6年8/24開業の青島駅なし 

昭和5年1930年4/1よりマイル表示からメートル表示に切り替えた(裏面はマイル表示)などから昭和5年1930年頃の沿線案内と想定 

 

松本駅連絡の筑摩電鉄島々駅から浅間温泉駅まで描かれている 

省線は黒色表示 

白馬岳から穂高上高地及び乗鞍岳と北アルプスが描かれる 

高瀬川、穂高川、梓川、奈良井川そして犀川 ・・・

 

信濃鉄道全線開通を告げる

大正5年7月5日発行 信濃毎日新聞 2P中段

「信濃鉄道の佛崎駅、大町駅間は今5日より運輸事務を開始す

かくして同鉄道も全線開通となれり

 

佛崎駅は初代「大町駅」のことである

初代「大町駅」から「信濃大町駅」まで開通するにあたって

初代は「佛崎駅」と名を変え

そののち間もなく廃業していく

 

同じく7月5日信濃毎日新聞7月5日6P

「祝信濃鉄道全通」お祝い全面広告である

 

これの掲載企業を調べていくと面白い

 

上段右の「信濃銀行」は

保善銀行→安田銀行→富士銀行→第一勧銀そして

今のみずほ・・・である

 

北安銀行は、1895(明治28)年に大町に創立され

横沢本衛が頭取に就任

後に北信銀行となり、その後八十二銀行に継承されていく

その横沢本衛が設立するのが安曇電気である

詳しくは中部のエネルギーを築いた人々に詳しい

https://www.chubudenkikyokai.com/archive/syswp/wp-content/uploads/2017/09/214d3c2d2e155842753d9221c30bbe1f1.pdf

 

 

上段左から3つ目「安曇電気株式会社」は今でいう電力会社

のちに諏訪電気と合併

信州電気となっり後々中部電力になっていく

開発した発電所は

穂高、中房川にある

宮城(みやしろ)第一、第二、第三、

犀川明科近くの犀川発電所

中房第四、

小谷電灯と合併後、中房第五、

姫川の第二水力発電所と開発していくのである

 

諏訪電気の初代社長は辻

伊那電気鉄道のそれも辻だった

砥川発電所の電気を使って伊那電は電車を走らせた・・・

詳しくは別の機会に

 

上段左端の信濃運送の詳細は分からないが

肩書に「天龍運輸株式会社取扱店」とある

明治25年金原明善が創業のちの丸運である

中段はまず製糸業が名を連ね

酒造店は今でもお世話様になっているところ

株式会社市野屋はほしいち・黒部は美味い

 

大町醸造は株式会薄井商店

 

白馬錦はスキーで八方泊りの時は晩酌の酒

大雪渓も飲むけど 笑

 

「黒菱」は醸造所まで買い求めに行くがなかなか手に入らぬ

 

実はどの酒でも美味い

少し安い酒のほうが

飲めば飲むほど美味い

 

 

下段

へ丁対山館(やまちょう たいざんかん)は

北アルプス登山のベース旅館として

その館主の百瀬金吾

そして息子の真太郎は

あまりにも有名であったらしい 詳しくは知らんけど

信濃毎日新聞2P中段にも

「旅舎対山館の主人また山岳研究家の先輩なれば便すこぶる多し」と謳っている

 

地元の人なら

この会社、今はこの会社って

もっとわかるだろう