「夕貴」の頭は連日の猛暑にダメージを受けたのか・・?
突如・・・「マゼラン」を書こうとしています!
まーしかし・・・・
これが「何でも書いちゃってます」の
夕貴の面目躍如という所かも知れません・・・・
1500年代ヨーロッパでは香辛料が大変な貴重品だった!
(今はスーパーに行けば簡単に手にはいるけど)・・・
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「マゼラン」は1505年25才の時・・・
「アルメイダ提督」↓
率いる艦隊に参加してインドへ初の航海に出た・・・
そして・・・・・・インド洋方面で・・・
エジプト、インド沿岸の支配権獲得
更にマラッカ攻略にと・・・戦いに明け暮れていた・・・
そうした戦いの日々も一段落して7年ぶりに
ポルトガルのリスボンに帰国すると・・・
なんと!
リスボンはアレキサンドリアやベネチアにとって変わる
大商業都市へと変貌していた、
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(このリスボンで思い出すのが・・・
夕貴が中学の時・・・
読むのがクラスで一番上手い夕貴が指名され
国語の本を読むことになった・・・
<リスボン え リスボン え・・・> と読む所を夕貴は
<リスボンえ へリスボンえ・・・>と読んでしまった
苦い思い出がある)・・・
「マゼラン」は驚き・・・同時に ぶち切れた
「俺らはよーポルトガルの東方征服の野望を担なって
南海のくそ暑い元で戦い苦しみ血を流し宝物を集めて
母国に送った・・・
その宝物を高級貴族たちは我先にと私物化していた・・・
「マゼラン」たちの血と汗の代償は余りに情けない現実だった!
インドやマラッカにおける功績を讃えてもらえることもなかった!
昔ながらの最下級貴族の一員としての扱いに過ぎなかった!
<くそー頭きた!>・・・
「マゼラン」は「ヌマエル」王に直談判して
モルッカ諸島(香辛料の産地)への
西回り航路開拓のため船長として
その任にあたらせて欲しいと頼み込んだ・・・
返事はノーだった!
<こんな馬鹿たれ王に取り合ったってラチはあかねえや>と
1517年にスペインに移り・・・
スペイン王「カルロス一世」に面会し・・・
事の次第を告げた・・・・・
「カルロス一世」は 大いに心を動かされた
「マゼラン君 いい!それをやりたまへ!君を艦隊の艦長にする」
1519年9月20日5隻の船隊を組み
(ビクトリア号、、サンアントニオ号、
コンセブシオン号、サンティア号、旗艦トリニーダ号)と
237名の乗組員を率いて
サンルカル・デ・バラメダ港を出帆した、
香辛料の産地<モルッカ諸島>に到着するのに
大西洋と太平洋を結ぶ最短距離の航路開拓・・・
これが今回の最大の課題だった!・・・・・
1520年9月20日
【マゼラン海峡】(南アメリカ大陸南部)を遂に発見!
ビクトリア号他二隻が通過し
南太平洋横断という偉業を成し遂げた
しかし・・・物事はそう簡単にうまく 運ぶものではない・・・
太平洋に入ってからは無人島はいくつか発見したが
食料や水が補給出来ず・・・
極度の飢餓と壊血病に苦しめられた・・・
この壊血病はビタミンCの不足が原因らしい
夕貴もタバコ(ヘビースモーカー)吸ってるので
ビタミンCが不足するんだわ!だから これ飲んでる
夕貴のおやじ 引っ込めー邪魔なんだよっ!
うるせー
失礼しました!
100日目にとうとう小さな有人島を発見!
食料を補給することが出来た!・・・
しかし同時に島の住民の盗難にあうという
不測の事態が発生した!
「マゼラン」一行は島に上陸して焼き討ちをかけ
7人の島民を殺害した・・・
この島をラドロネス(泥棒)諸島と名づけた(今のグアム島)・・・
この航海の間・・・嵐に遭遇しなかったことでこの海を・・・
<平和の海マール・パチフィコ> 太平洋と名づけた・・・
しかし・・・皮肉にも・・・この平和の海が・・・
この後・・・思いもかけない・・・
不幸の海に変わることを
当の「マゼラン」も知る由はなかった・・・
事態はその不幸な事態に向かい
刻一刻と近づきつつあった!
1521年4月27日・・・
「マゼラン」一行はセブ島の住民の懐柔策に失敗し
<マグダン島>で島民ネイチャーの屈強な男たちと
島の浅瀬で白兵戦になった・・・
島の男の持つヤリが「マゼラン」の太もも深く刺し貫いた、
そこえ寄って集(たか)って島の屈強な男たちが
「マゼラン」を取り囲んだ・・・
「マゼラン」も必死に応戦したが力尽きた・・・・・
「マゼラン」時に・・・41歳だった!
残された部下たちが目的のマルク(香料)諸島に向かい積荷し
スペインに直帰230名の乗組員は18名になっていた!
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