最終章・源氏物語 | なんでも書いちゃってます

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どのような手段を用いようと・・・・・

「藤原道長」が当時トップの座に就いたのは
紛れのない事実である・・・

その最高権力者の庇護の下・・・

10年に及ぶ(構想より)歳月をかけ
「世界最長編小説」「源氏物語」は書かれていった!

「藤原氏」の元で「源氏」を書いたのも不思議な気がする、

登場人物が400名前後にのぼり・・・

その各々の相関関係を見ていくと
何がなんだか訳がわからなくなり途方に暮れてしまう・・・

そこで 
「源氏物語」を 三つのパート分けて
簡単に考えるといい!

①男たちの権力闘争

②主人公「光源氏」の女遍歴

③作者「紫式部」の意図


①と②は普遍的なもので何時の時代に於いても
同じで変わることはない


③の作者の意図したもの・・・

これが やはり どうしてもキーポイントになってくる

①②は割愛して


「紫式部」の生い立ちを追って見たい、

平安時代・・・千年という途方もない昔の事である

明確な史実に基づくものと・・・

後年の歴史学者が自らの思惑で想定し提起して・・・

かんかんがくがく の議論のなか・・・

都合の良い部分は受け入れ・・・

また・・・前後の歴史をかんがみ・・・

当てはめて行く・・・という方法で時系列を完成させていった

973年?(この年代設定も・・・
970年説もあり、978年説もあり)

明確な史実が見つかっていない、
とりあえず973年説を採り


973年・・・「藤原為時」の次女として生まれる



「紫式部」が幼い頃・・・

父の
「藤原為時」が「紫式部」の兄の
「惟規・のぶのり」に<史記>を教えていたとき

側で聞いていた
「紫式部」の方が先に覚えてしまい

父の
「藤原為時」が

「この子が男の子だったら将来立派な学者になるだろう」
と残念がった・・・と言った!・・・

これなどは 歴史学者が後年勝手に作った作文に過ぎない!

必ずこのような用語を用いて
本人が如何に優秀だったかを表すために用いる 
常套手段である!・・・それはさておいて・・・

996年・・・父の
「藤原為時」が越前の守(えちぜんのかみ)
福井県の国主になったため
「紫式部」を含め一家は越前に移る


998年・・・
「紫式部」は一人京都に帰り
「藤原宣孝・のぶたか」と結婚する・・・
かなり年上だったらしい



999年・・・「紫式部」 娘「賢子・けんし」を出産する・・・
その後・・・何があったのか?定かでないが
夫婦間が最悪の状態に陥る


1001年・・・夫
「藤原宣孝」亡くなる

1005年・・・左大臣「藤原道長」の命により
長女「彰子・しょうし」(12歳で一条天皇の妃になる)の
家庭教師として宮廷にはいる


1010年・・・「紫式部日記」更に「源氏物語」を完成させる・・・

夫と死別したあたりから「源氏物語」の構想は練っていたが・・・

娘「賢子」の養育に明け暮れ小説どころではなかった!

本格的に「源氏物語」を書き始めたのは
宮廷に入ってからの5年間で完成させている

構想を練ってからは・・・

実に10年の歳月を費やした事になる!


1011年・・・父の「藤原為時」が越後守(えちごかみ)
新潟県の国主になる

1013年・・・「紫式部」宮廷を去る・・・

最大のバックボーン「藤原道長」の権勢に
陰りが差し始めたのが大きな要因と成っていた・・・

「紫式部」の晩年は寂しいものだった!

唯一の救いは立派に成長した娘「賢子」が
側で見守ってくれたことである

1014年・・・2月・・・日本はおろか・・・

世界文学界史上に

不滅の大金字塔を打ち立てた

小説界のスーパースター

「紫式部」は・・・・・・・・・・

・・・・・唯一つの謎を・・・・・

抱いたまま永眠した








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