【アーカイブス】
「浜田幸一」は翌日に控えた己の晴れの舞台の
大パフォーマンスの際の名セリフを考えていた
パソコンとかキーボードとかマウスとか
「浜田幸一」にはこれまで無縁だったが
パソコンなるものでセリフを書いてみようと
思い立った
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「はい00電器です」
「浜田だパソコン一式持ってきて
もらいたい」
「どちらの浜田さんでしょうか?」
「どちらの浜田?浜田でわからないのか?」
「はい・・浜田さんだけではちょっと・・・
わかりかねます住所をお願いします」
「国会議員の浜田だ!議員宿舎に
今すぐ持って来い」
「あっ!失礼いたしました
すぐにお届けいたします」
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私らも始めてパソコン手にしたときは
さっぱり わからなかった
「浜田幸一」も当然扱い方はわからない
ああでもない・・・こうでもない・・
「浜田幸一」の頭に血がのぼってきた
元来 気短で気性の激しい「浜田」である・・
「このやろー俺をなめとんのかー」
というなり今買ったばかりの
パソコンを地べたに叩きつけ・・・
叩き壊した
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時代は1979年・・・
「自由民主党」史上 最大の危機といわれた
【四十日抗争】
「田中角栄」「大平正芳」の主流派に対し
「福田赳夫」「中曽根康弘」「三木武雄」らの
反主流派の壮絶な派閥争いの真っ只中だった
「大平正芳」を総理大臣に再選するか
「福田赳夫」を新たな総理大臣にするかの
両派いりみだれての派閥抗争である
我が大分県の国東半島(くにさきはんとう)
周防灘(瀬戸内領域)に浮かぶ
小さな島(姫島)の選出国会議員
副総理の「西村英一」(田中角栄の子分)
は「福田赳夫」を党の「総裁」に そして
「大平正芳」を党の「総理」にと いう
「総総分離」論を反主流派に提示した
しかし非主流派から蹴られる
ありとあらゆる 人物が
ありとあらゆる 手を尽くしたが
落ち着くところに 落ち着かない・・・
業を煮やした「田中・大平」軍団は
強行突破作戦に打って出る覚悟をした
その情報をキャッチした非主流派は
両院議員総会での強行採決を阻止すべく
机や椅子でバリケードを築き上げ
議場への出入りを封鎖した
大平派の幹部は「浜田」を訪ねた
「浜田先生の お力でなんとか
打開できませんか」
元来 単純明快・男気溢れる「浜田」である
「わかった 俺にまかせとけ」
「いいか断っとくけどな かわいい子供たちの
時代のために自民党があるってことを忘れるな!
お前らのためにだけ自民党があるんじゃないぞ」
パソコンをぶち壊したが「ハマコー」は
名セリフを堂々と決めて見せた・・・
周囲は多くの報道関係者がカメラを
抱え撮影していた
実は前日・・各社の報道関係者に「浜田」は
「明日やるからな」とお知らせ電話をしていた
この写真は誤解が多いいが・・・
「浜田」は 悲主流派が築いたバリケードを
片付けている写真である決して「浜田」が
椅子を投げ飛ばしている写真ではない
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「浜田幸一」はバリケードを片付けながら
遠い幼い日の事を思い出していた
「浜田」の父は千葉県富津市青堀町の
大地主の家に生まれ町の助役を勤め
何一つ不自由のない生活を送っていた
その父が 魔が指したのか・・・
博打にのめりこみ 一家は財を失くした
母は「浜田幸一」を育てるために
リヤカーをひき行商を始めた
母は無理がたたり寝込んだ
「幸一すまないね何もしてあげられない
母さんを許してね」
その二日後・・・母は息を引き取った
バリケードを黙々と片付ける
「浜田幸一」の頬に一筋流れ落ちる
涙に気づいた記者は一人もいなかった
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