美空ひばりと川田晴久の関係 | なんでも書いちゃってます

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巷間・・・信じられている事でも
よくよく精査してみると

案外 誤っていることは よくある

二ページ前で「美空ひばり」を
売り出したのは・・あたかも「川田晴久」
みたいな書き方をしてる見たいだが・・・

そのあたり正確に再度記させて頂きます

資金面を含め「川田」を全面的にバックアップし

「新開地劇場」へ出演させ
二千円のはした金から四万円という
当時の芸人のギャラとしては
破格の額を取らせて


「川田晴久」を
 見事再起させた「田岡一雄」

以来「川田」はなにかにつけて
「田岡一雄」を頼りにしてきた、

しかし

「田岡一雄」は芸能関係には疎かったので
「新芸プロ」を創設していた「福島通人」に
「川田」のマネージャーを依頼し

「川田」を「新芸プロ」入りさせた

「新芸プロ」には「美空ひばり」がいた

「美空ひばり」は

「滝頭国民小学校」三年生の時 
横浜磯子区(ひばりの生まれた街)の
小屋に出演して歌った

その巧さは観衆の度肝を抜いた
当時人気絶頂美人でもあった
「音丸」に誘われ

四国へ地方巡業などしていた

 

昭和23年5月当時「横浜国際劇場」支配人 

「福島通人」の異例の抜擢を受け

 「横浜国際劇場」でデビュー
七月専属となったが劇場主と 
 「福島通人」との意見の相違から 


「福島通人」は

「美空ひばり」を連れて
「新芸プロ」を創設した、

その後

「美空ひばり」は
日劇小劇場のオーディションを受けて
「伴順三郎」の

「新風ショー」に出演し、

ここをステップに売り出す

二十四年一月日劇に出演、

「のど自慢狂時代」「びっくり五人男」など、
あいついで映画にも出演し

九月「コロンビア レコード」で吹き込んだ
「悲しき口笛」が十万枚という
当時考えられないような大ヒットを飛ばし
「美空ひばり」は不動の地位を築いた


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