リュックに詰め込んだもの、冷凍にしたアジの開き、納豆、海苔、梅干し
ベルリンの長女が孫を出産して10日ほどのこと。たった一人で乗り換えまでしてドイツに行った。
築200年にもなるという古いアパートの部屋で、その荷物をだした。アジはまだ冷たくて冷蔵庫に入れた。
手荷物のほうが入国の時に怪しまれないと思った。生物の持ち込みはできない。そこで1か月初孫と娘とドイツ人の婿殿と暮らした。
スーパーマーケットにも一人で行った。英語もドイツ語も何もできない日本人の婆ちゃん。それでも何とか楽しく暮らした。
ベルリンはまるで絵画のような美しい街。戦火を逃れた建物も多い。砲撃を受けたままの姿を残した教会もあった。
ベルリンの壁があったところにも行ってみた。壊されて残っているのはほんの少しだけ。元東側だから壁の穴から西側を覗いてみた。
ここでどれだけの人が裂かれた肉親を思ったのだろう。壁を上り撃たれた人の無念を思った。
洗濯機が壊れていてランドリーにもいった。誰もが私にハローと声をかけてくれた。私も恥ずかしいけれどハローと答えた。
初孫はまだミルクも貰えず、生まれた時の体重よりずいぶん減り赤ちゃんなのに少年のような顔をしていた。
驚いたことに産湯にも入れてなかった。毎日助産婦さんが来て指導しているとか。
吊り下げる秤で体重を計り、私が行って初めて体重が増えないわねとミルクを許可した。それもほんの少し。
暫くして娘が領事館で孫の出生届をだしてくるといい出かけた。そのすきにミルクを飲みたいだけ飲ませた。
いつもの倍の量を嬉しそうに飲んだ。ばあちゃんの腕の中でゴクゴク飲む孫を抱きあの戦火黒煙がこの街に再び起きないことを願ったものだ。
孫が1か月になったころには丸々かわいい赤ちゃんになり、ドイツのおじいちゃんと会うために車でブレーメン近くの町に行った。
こうして私のドイツ生活を終え帰国し、その時の記事を初めてブログという形で世に出した。
当時はエキサイトブログ、次女が設定してくれた。ベルリンやブレーメンでの出来事が今でも検索すれば出てくる。 最初のブログ「孫日記 遥かなる和へ」の誕生の秘話です。
ドイツの孫和(NAGI)は18歳になった。小学校入学前にベルリンからオルデンブルグという町に移り長く暮らしている。 可愛い二人の孫は、もうすぐ80歳になる私の生きる喜びを手伝ってくれている。