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 二十世紀の初めは、乗り物の文明が花開いた時だが、ヒトラーは、この新しい利器の人々の心に与える魔力をよく知っていた。オープン・カーを乗り回すことは、1920年代の初期から実行していたし、突撃隊員をトラックに乗せることも、列車を借り切って集団で乗り込むことも、スピードの魔力を能く知っていたからだ。ゲッベルスは、1932年の選挙戦で、スピードの王者飛行機をヒトラーの為に用意した。「ドイツの上を飛ぶヒトラー」。選挙のスケジュールを消化する為の身ならず、ヒトラーの神格化のイメージ作りに役だった。


 1925年の公判を予定されていなかった日記でも、「我々の闘争は、絶望的だと思いたくなる時がある。……政治は無情冷酷で残忍だ。卑劣なものではないのか。人並みの人間の耐えられる所ではない」と言っている所があるからだ。併し党の宣伝部長として、今や水を得ている彼は、心からそういう理由を持っていた後でも、自殺者の名前をけろりと忘れることも可能であったろうし、演説中の涙も空涙であったとは思えない。血は通っていたから、効果はあった筈である。

一月七日

 事務所で、凶報に接する。<アングリッフ>が、一週間の発行停止だ。……新聞はこれで経済的に参るかもしれない。だが、政治的には、却って我々にお誂え向きだ。ブリューニングは、また一つ、我々に武器を提供した.シュポルツパラストで行ふ演説を細部に亙って、総統と打ち合わせる。今日では勿論、何か云わなくてはならぬ。それには混じり気なしの真実が最上だ。これは常に、一番清新に訴へる。此処にゲッベルスの一つの宣伝術の型が見えている。危機に際して、危機そのものを武器にすると謂う事である。

 

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