にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学・思想情報へ

(続き)

 

 実存とは、神の本質に対して神の実存と云われたものに由来する。西欧中世の思想では神が最もすぐれた存在であった。そこで神の本質から神の実在(存在)を論証することが熱心に試みられた。故に神は存在するという論証即ち「神の存在論的証明」とよばれた。中世から近代に至り、神中心主義から人間中心主義に転回し、カントは神から人間を考えるのでなく 、人間から神を考える立場をとった。つまり人間の本質、人間の存在が問題とされた。―「個体的人間の自由の意識」が人間存在を普遍的本質として捉えた。これに具体的内容を与えようとする方向で、フィヒテ以降の理想主義(ロマン主義)が展開され、それを完成したのがヘーゲルである。

 

 ロマン主義に於ては「自我の解放、個性の発揮、独創の尊重」叫ばれた。中世の最高の理想は、神的な天使(精霊)となる事であったが、中世はこれを現実において達成しようとしてロマン主義に到達し「個的人間の自由意識」を成り立てたのである。「絶対者は主体である」とヘーゲルはいう。この意識が神にまで拡大され理想化された。これが自然世界の根本にあり、又人類歴史の主体であるとされた。世界歴史は、一人の人間(帝王)が自由である古代専制国家から、若干の人間が自由であるギリシア・ローマの奴隷社会をを経て、今や全ての人間が自由となる世界に至ったとヘーゲルは考えた。併しこれによって、人間の個体性は見失われる危険にさらされた。キェルケゴールは大学で。ヘーゲル哲学を学んだが、やがてこれに失望した。

 

(続く)