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(続き)

 

 フィヒテの哲学を、更に発展させたのがシェリングである。―無限に努力する行動の主体は、客体として現れてくる障害・抵抗を絶えず克服して進まねばならないが、この限り、それは永遠に達せられることはない―シェリングは主体と客体とは対立するが、芸術的直観においては、主客は統一せられる。又自然界と人間界は、客体的自然界と主体的人間精神との根源的統一が存するという。これがシェリングの「同一性哲学」である。

 

 このシェリングとフィヒテの立場を総合したのがヘーゲルである。フィヒテは主客は対立すると強調するに比し、シェリングは主体と客体との統一を強調する。ヘーゲルは、真実には対立と統一との統一ではなくてはならぬ。これが眞實在である。実在は静止的ではなく、活動的なものである。これを運動の過程としてみると、第一段階は、主体も客体も区別されない根源的な統一の段階である。第二段階はこの統一が分裂して主体と客体とが対立し、矛盾が成立する段階である。

 

 第三段階は、対立した主体と客体とが統一され、矛盾が克服される段階である。この第一段階「即目的」とよび、第二段階を「対目的」とよび、第三段階を「即自且対目的」とよんだ。第三段階は、第一段階と第二段階との総合である。ヘーゲルは自然界と人間界の一切に、その第三段階の発展を認めた。その発展が弁証法的発展であり、この発展の論理が弁証平等である的論理である。ドイツの理想主義時代にイギリスでは産業革命が進行し、フランスでは政治革命が起こった時代である。「自由・平等・博愛」の理想が、全ヨーロッパの国々の人心を強く捉えた時代である。

 

(続く)