「悪人或いは無頼漢が、案外善良で純情で、ある事が少なくない。」
 
   「人は、他の人々と接触する必要の少なくて済めば、それだけ幸いである。」
   (最も能く現代を離れ得る者にして、初めて最も能く現代を救い得る)
 
   「自分が、世の為・人の為に何か善い事をして見せるよりも、自分が蔭(裏)
   に廻って、世の中に人間に何か善い事をさせるように、尽してゆく方が、
   更に純金である事を、教えたのである。」
 
   「民衆を救う者は、民衆に向って難しい事を説く前に、民の病を救い、健康
   の相談相手となったのである」。
 
●確か、田岡三代目が「内に居るもんはみんな気が弱くて、淋しがり屋で、泣き虫ばっかりですよ」と云ってた。彼らは世間から冷たい目で見られ、汚れとか、ダニとか忌み嫌われ、「こっちへ来るな、あっちへ行け」と、世間からつまはじきされ、常に、裏街道を下を向いて歩く存在であった。だから或る親分は「我々が、政治に口出しするもんではない」とか「お上に逆らうものではない」と謂う事で抑圧され、屈折された人々(稼業人)がまま見られる。
 
暴対法」もアメリカの物言いで出来たと云うんだが、北九州工藤会の件も、何処から指示が出たか、分かったものでない。十六年前の事件を穿り回して、この期に及んで、引っ張るという事は、なんかの見せしめ以外考えられない。しかもトップは事件後に報告を聞いたとなれば、猶更、官憲の横暴が垣間見られる。
 
嘗て、幕末維新では、尊皇の志士の前に、高山彦九郎など、草莽の浪士が控え、その先に「怪我と懲役はうち持ち」と謂う事で、侠客が突っ込んだのである。或る意味で今が、大化の改新・建武の中興・明治維新に次ぐ、維新・革新の秋である。
 
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