「福島」について語った山本太郎と室井佑月のその後 | 兄者新聞 とりとめのない毎日とありふれた日常

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「福島」について語った山本太郎と室井佑月のその後
http://npn.co.jp/article/detail/76167817/

 おはようございます。
今回は、多方面でいろいろと物議されている問題です。
詳細はリンク先から確認できますが、「福島の野菜を給食に~」の是非について多くの方が論議されております。
上記した2名の他にも多くの芸能人がいろいろな発言をしてます。

皆さんはどうお考えでしょうか?

 お子さんを持つ親御さんには非常に身近な事案であると思います。

余談ですが・・・食物の放射能汚染についてお話しをします。
受け止め方は各自に任せるとして、民間検査をしている自分の立場からみた現在流通されている農産物などの残留放射能についてですので、予めご了承ください。

まず現在の状況として、汚染の大小はあるにしろ放射能汚染は確実にあります。
これは「0」か「1」かという部分についてで、確実に「0」であるものは非常に稀です。
よく報道で目にする「未検出」若しくは「不検出」という文字ですが、確かに「0」もあるのですが、これはすべてが「0」というわけではありません。
どういう意味かと申しますと、検査機器には「検出限界」というものがあります。
例えば皆さんの手元にあるかもしれない定規を例にしてみます。

多くの定規は0から1ミリ2ミリと始まります。
ですが、本当はその0の下にも0.09ミリ0.08ミリなどという長さがあるのはご承知の通り。
しかし、その定規ではその0以下の長さを計る術がありません。
つまりこれがその定規の測定限界。
もっと細かい目盛りが撃たれているものであれば測定できますよね。
それが定規として実用性を満たすかどうかと言われると疑問ですが^^;
かなり大雑把な例えですが、残留放射能を測定する機器にもこのような測定限界(検出限界)が存在します。
正確にいうと、検出測定は出来るが精度の信頼性が低下する程度に受け止めてもらえればいいと思います。
「20Bq/h以下は不検出とする」と明記され報告書は提出されてきます。
しかし参考値として12Bq/hなど数値が添付されています。
これは「0」ではないですよ、という注意書きのようなもので、この数値以下については国が認める安全性を損なうものではない数値という解釈でいいと思います。

 仕事柄食品関連を取り扱いますので、この辺の見解について分析機関に問い合わせをしてみました。
震災前、つまり原発事故が発生する以前の検体については測定値は「0」であったらしいです。
ですが、現在の状況だと「0」であるのは稀とのこと。
ほとんどが多かれ少なかれ幾許かの汚染値を示しているそうです。
分析機関のお姉さんの説明によれば、これはスギ花粉などに似ていて、風が吹いていればそちらに流れていき、その風や空気に触れれば検出されるとのこと。
空気に触れるだけで0ではなくなる可能性があるのであれば、物流もなにもかも事実上不可能です。

 ただ前記した通り、その数値が0でないからといって「安全ではない」というわけではありません。
非常に厳密に言えば、これも「安全」か「不安全」かと言われれば、「安全ではない」と言わざる得ないのかもしれませんが。。。
出来ることなら「0」であるのが望ましいことは皆さんも同じであると思いますが、前記したように事実上は不可能な部分でもあります。
国が定める暫定値を超過していなければ安全なのかどうか。
これも今国が置かれている「信頼性の欠如」からも鵜呑みにできない部分があるのも事実でしょう。
だからといって、なにがなんでも「0」にこだわるのであれば、食べ物がなくなる危険性もあるのです。
無菌室で人口太陽で人の手を一切介さずに栽培され、梱包されて真空パックで外気に一切触れることなく輸送と加工ができて提供されるものであれば可能なのかもしれませんが、こんなの無理でしょ。

 最後に。
私個人として、福島県産の農産物を擁護も批難もするものではないということをお知らせしておきたいと思います。ただ、同じようなリスクは福島県のみならず、私の住む茨城県や関東地域に拡大していく可能性もあるということだけ知っておいていただきたい。