戦時中、野洲市に捕虜収容

所があったのをご存知でし

うか?

 

8月7日(金)~9月2日

(水)までの間、野洲図書

にて「野田沼捕虜収容所

に関する遺物や写真が展

されています。

 

当時の地域の様子を住民

聞き取った地元の浦谷

さん(78)が戦後70年

を機に、開催を提案され、

実現に至りました。


 

太平洋戦争中、旧野洲郡兵主

村に、大阪捕虜収容所の分所

として、1945年に開設さ

れ、終戦までの4ヶ月間、捕

となったオランダ軍兵士2

00名を収容し、琵琶湖の干

拓の使役に従事させていた

です。

 

浦谷さんによると、他の収容

で暴動や虐待事件が相次ぐ

中、野田沼は比較的平穏に終

戦を迎えました。

 

それは、「監視員や住民の紳

士的、人道的な態度にあった

のでは」とのこと。

 

当時5人いた収容所の監視員

の1人、田中憲一さん(08

死去)は簡単な英語ができ

ため捕虜と言葉を交わし、

タバコをあげることもあった

そうです。このほか、聞き取

りでキュウリやトマトなどを

える住民がいたことも分

っています。

 

浦谷さんは「強い恐怖を感じ

ながらも、当時の人は信念や

優しさを持って接し、それが

捕虜の心に深く響いていた。

先人の行動を地域の誇りと

て子どもらに伝えたい」と

していらっしゃいます。

 

収容所は共同墓地に変わり、

その中央に、かつて捕虜たち

が使っていた井戸の跡がひっ

そり残っているそうです。


 

野洲市にとっての貴重な歴史

産であり、過去の痛ましい

来事を、後世に伝えるため、

ここから、日蘭友好を始め、

世界に向けた、不戦への誓い

として、メッセージを送り続

てはどうでしょうか。