今日はわたしの音楽の歴史「活動開始〜現在」のお話をします。
冒頭で伝えるのもなんですが、上手くまとまらなかったの。
だけど、一生懸命書いてしまったから送信ボタンを押すこととします。
音楽をつづけるために必要なものってなんでしょう?
才能、努力、環境づくり、お金、人脈、注目される星回り...
全てが合わさって世の中に注目される存在となるのかもしれません。
あるいは「ご縁」のようなものかもしれません。
わたしは20代前半で本気で売れてやろう!と努力をして来ましたが、
ワンマン450人の動員とアルバム5000枚売るのが、数の最高記録でした。
数の最高記録です。
ビジネスでは大切なところであり、
音楽は価値が人によって違うので数で見るしかないところもあるのでしょうか。
当時のお世話になっていた会社といっしょに、
一心不乱に活動させていただきました。
音楽制作陣にも恵まれ、たくさんの経験をさせてもらった気がします。
それから私自身、人生と向き合わねばならない時を迎えました。
音楽以前に、生きていくためには乗り越えねばならない壁にぶつかり、
25歳の時に1年音楽を離れました。
それからフリーランスでSinkirowをはじめ、ソロでも活動をしました。
「お金がほしくて音楽が好きなわけじゃないんだな。音楽がしたくてたまらないんだな。」
と喜びに溢れていた気がします。
生活という面では危なっかしく、
いつ破綻してもおかしくない綱渡りのような状態でしたが、それでも音楽があることで「光」が手のひらにいてくれる気がしました。
それから時が経ち、
今度は母親になる事でしばし物理的に時間が取れず音楽から6〜7年離れました。
「離れた」と言うのはライブハウスからです。
家ではアイデアノートを作成したり、
いつ歌うか分からない新曲をボイスレコーダーで吹き込んだり。
さみしかったなあ。ライブが好きだから。
それから「ご縁」をつるうちはなちゃんが作ってくれたことで、
4人の子供たちと生活しながら音楽を一歩も引かず取り組む生活がはじまりました。
それはとても大変で、
喜びに満ちたものです。
そこで、また考えさせられる。
「わたしの音楽はどこに向かっていくんだろう」
と。
売れることを目的として活動していない。
ただ、音楽でワクワクしていたい。
最終的に残った気持ちは野心ではなくて
「音楽やらずにはいられない。」
と言う気持ちだった気がします。
去年、北参道ストロボカフェでワンマンに集まってくれた人数は60人でした。
最高記録450人から1/7の集客です。
果たしてしょぼくれたのでしょうか?
わたしは落ち込んだでしょうか?
わたしはそうは思いませんでした。
自力で活動しているわたしを好きだと言ってくれてる人たち60人を目の前にして、この上なく幸せでした。
よくやった。と自分を褒めることができました。
音楽とお互いを思い合う大好きな人たち。
こんな空間、ふつうに暮らして遭遇するシチュエーションではありません。
精一杯音楽を作ることで、
こうしてまた人と繋がれている、
「そして、イナダミホの音楽が好きでいてくれる人たちといっしょに歳をとること。」
これが私の夢です。
またライブで、歳を重ねたお互いが元気で会えること。
日々の思いを昇華させられる場所であること。
そうであってほしいと願っています。
ジレンマはもちろんたくさんあります。
でもわたしは幸せです。
ライブが大好きです。
歌を聞いてくれる人たちがとても大切です。
だからまた曲を書いて、喜ぶ姿をにやにやしながら想像します。
ライブでないと会えない人たちばかりです。
また会いたいので、
わたしはいつでも店を開いて立ち寄ってもらえるように、これからもコツコツとやっていくだけ。
野心を抱えてはじめた音楽が、
いつのまにか毎日飲むおみそしるのような存在になりました。
特別で、日常。
日常だけど、特別。
楽しく暮らしていきましょうね。
ちっとも上手く説明できなかったけど、
ぼんやりとはわかるかもしれない。
そんな今日の日記でした。