生きてる者には必ず訪れる死
私の親友は1ヶ月前の今日、乳ガンでこの世を去りました。
享年35歳。
18歳で映像のことをもっと学びたいと渡米。
念に数回連絡するくらいだったけど、私が落ち込んだり、メンタルが弱ってる時にタイミングよく連絡をくれる勘のいい子でした。
亡くなる2か月前に連絡があった。
『日本に帰ってきたよ』
『仕事落ち着いたんだ❗またアメリカ戻る前に会おうよ!』
『いいけど、私、今、病院なんだ。乳ガンなの。しかもステージ4b(笑)』
私は言葉を失った。
ステージを聞いてすぐに分かった。
末期。しかも余命はもって3ヶ月。
私は予定していたスケジュールをできるだけ空けて彼女に会いに行った。
何年ぶりに会った彼女は元気だった。
もう治療もなくあとは死を待つだけだと。
アメリカでガンが見つかったがアメリカでの治療には膨大なお金がかかるため、日本での治療を決めて帰国して細かい検査をしたが、リンパ腺、骨への転移も見つかり、医者から末期の宣告を受けた。
アメリカへ帰る選択もあったがストイックな彼女は作品作りの途中で自分が死んだら周りに迷惑がかかるし作品も中途半端になると思った。そして最期くらいは両親と過ごそうと決めた。
生きてるうちに感謝を伝えたいと。
私は1週間に1回のペースで彼女を見舞いに行った。
しかし、徐々に彼女の体をガンは蝕んでいった。
面会時間も限られていった。
痛み止の量も増えて眠っている時間も増えていった。
それでも私は彼女との時間を大切にした。
5分でも3分でも彼女の顔を見に行った。
亡くなる1ヶ月前に彼女から
『○○(私の本名)の二人のチャイルド達に会ったらマミーが会いたがったるから早く行きなさいって催促しとくわ。
あと、私があんたの今までの辛い気持ちや悲しい気持ちとか色んな嫌なことを全部持って行ってあげるから安心して自分の信じる道を進みなさい』
私はなんて言っていいか分からず、笑うしか出来なかった。
頑張ってありがとうと答えるのが精一杯だった。
この言葉を最後に彼女は眠ることが多くなった。
そして先月息を引き取った。
彼女は最期まで凛として自分の命と人生に向き合った。
自分の夢に真っ直ぐに向き合い逃げずに何度も転んでは立ち上りを繰り返し、妥協せずに生きてきたと彼女は言っていた。
そしてどんな出会いでも損得考えずに大切にすること。
異国の地で頑張っていた彼女だからこそ言える深い言葉だとおもう。
依然、仕事大変でしょっと言ったときも『○○の仕事の方が大変だよ。だって人の人生をサポートしてるんだもん、しかも最期の時に寄り添うんだよ、私はプロフェッショナルを感じるよ』
私は彼女の仕事を何も知らないで大変と言う言葉で片付けようとしていた。
世界を相手にしている人は根拠のある正しい情報をキャッチしてなおかつ相手に敬意を払っている言葉選びと心配りに私は自分の低さを感じた。
彼女の遺言で日本では簡単な形式だけにしてアメリカでセレモニーをしてほしいとのことだったので、日本では通夜も葬儀もせず家族葬だけで済ませた。
私は厚かましくも参列させていただいた。
両親と私の3人で彼女を見送った。
すべてが終わり、ご両親と彼女に最後の別れを告げた時、お母さんから手紙を渡された。
生前、彼女が書いたメモだった。
彼女が死んだらお母さんのタイミングで私に渡してほしいと言っていたと。
私はその手紙を見て初めて泣いた。
we have no time to waste
(私たちには時間がない)
so moving when be blue
(だから落ち込んでる時こそ前へ進め)
believe in yourself
(自分の力を信じなさい)
仕事のこと、不妊治療のこと、2回の流産ことで私が前に進めないことを打ち明けた時に書いてくれたんだと思うと涙が止まらなかった。