どうもなばちゃんです。

どうやら私は誰かの為、を
散々やってきたらしい。

あまり実感がないというか
むしろ逆に自己中な方だと
思っていた。

でも確かに、
家族という
人間関係においては

実際尽くしすぎている
自覚はあるなと思う。

というかそもそも
うちの家族が
みんな不器用の集まり
なのだ。苦笑

いつも伝わらなくて
怒ってるし、

怒ってるくせに
話し合う前から
もう諦めてるし、

いつもお互いに
振り回されていて、

傲慢と我慢を
其々に繰り返している
ように私には見える。

一言で言うと、
自分の機嫌を自分で
とれない人たちの集まり
なのだ。

私もそのうちの1人だったし
渦中に見事にのまれていた。

全員に寄り添おうと
優しく耳を傾けてみたり、

こうすると喜びそうだ、
ということを
気が乗らないときでも
やってみたり。

たまに余裕がなくて
怒りを怒りで返しては、
そんな自分を冷たい人だと
思っていた。

でも、もうそんなのは
良い加減懲り懲りに
なってきた。

嫌な気持ちがすることは
されたくないし、

私が嫌だと思ったら
例え相手が悲しむとしても
それは私が責任をおう
ことじゃない。

今まで家族の役に立つ
ことで

愛されている実感や
必要とされている感を
得ていたし、

自分は優しい人だなと
悦に浸ることも出来た。

でも、家族とはいえ
一人間だ。

全ての願いを叶えて
あげることは不可能だろう。

そして誰かの願いを
叶えてあげている間は、

私の願いは無視されて
いることを
決して忘れてはならない。

誰よりも1番自分と
付き合いが長いのは
他でもない自分なのだから。



家族が命の最後を
迎えた時。

親孝行な人にとって
これほど怖いものはない。

でも、それはやがて
必ず訪れる。

なにか親に罪悪感がわく事を
してしまった時よぎるのは
戻らない過去への後悔だ。

364日優しく気を遣って
いたとしても、

たった1日、
わがままを聞いてあげられ
なかったら

それだけで自分は
とんでもなくひどいことを
してしまったような
気持ちになる。

なんであの時
もっと優しくしてあげられ
なかったんだろうって。

でも本当はそうじゃない。

お願いを断ったとか、

厳しい言い方を
してしまったとか、

そんな表面的な出来事
じゃなくて、

家族のことを
大切に想っている時間
そのものが尊くて愛おしい
もの。

それは相手には確実に
伝わっている。

例え言葉になって
いなくても必ず知ってる。

家族よりも自分を
優先したことが度々
あったとしても、

本当はあなたの幸せを1番に
家族は願っているのだから、

視座をあげて見たら
相手のお望みは
ちゃんと叶っているのです。

どんなことでも
経験してみたらいいんよ。

そんな恥ずかしいこと
しないでほしいとか、

なんでそんな言い方
するんだろうひどいなとか、

色々家族に対して
思うことはあると思うけど、

本人がしたいなら
それでいい。
やらせてあげればいい。

それをした結果の責任は
本人が負うだけだから
それでいい。

あなたがどうにか
しようとしなくていい。

もしあなたに対してで
嫌なことがあれば、

たとえ家族だろうと
NOを突きつけていい。

背中で見せつけるんだ。
こうやって自分を守るんだよ
って。

それが本当の
思いやりなんだと
私は信じています。

今日もお読みいただき
ありがとうございました♪


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