今更感満載の、「ラスパ」思い出し感想です。
大変遅くなってしまいました↓↓


私、幕が開くまでは、このどーしよーもなく暗くてアメリカンな話をれいこちゃん(月城かなと)が演じるという事に、否定的だったんです。

と、いうか、段々落ち目になっていく主人公がいたたまれなくて、正直ゆーひちゃん(大空祐飛)のなんて見ていて辛かったんですよねー。

でも、生きる事に、書く事に、愛する事に、一生懸命悩んでもがいてた「スコット・フィッツジェラルド」を、れいこちゃんがどんな風に演じるかに、期待もあったんです。

ので、初日は、本当に、ドキドキして客席に座りました。
DCの楽をとうに終えて、既に月組の皆さんは「黄泉の国」に出発されてはいますが、元、演劇関係者目線で感想を書いていきたいと思います。


開演10分前位に席につくと、すでに紗幕に「THE LAST PARTY」とタイトルが浮かび上がっていて、下手には椅子と小さいテーブルには花瓶に1輪の赤い薔薇と、タイプライターがサス(照明)で照らされていて。

紗幕なんで、近いとうっすらセットとかが見えて、なんかワクワクしてきました。

開演前に、上手で消し幕がハケていくのが見えたので「?」と思ったら、フィッツジェラルドのれいこちゃんが椅子に板付いてました。
もしかしたら、ずっといたのかもしれない(笑)←開演アナウンスの直前にスタンバイしてました。

幕が上がると、前回(’06年)とほぼ変わらないセットなんだけど、「なんだかスッキリしてる」と思いました。

今回も、音楽が生演奏で舞台奥に宝塚ニューサウンズの方々がいたのだけど、ホリゾントの前にいる彼らを隠すように紗幕がもう一つあって、その時々に応じて下ろしていました。
……もう一つスッキリ見えたのは、奥行が広いからかなぁ?

とゆーか、本のページになっている白くて文字が書かれたセットが、舞台の四方を囲んでこう……一点通しで描かれたキレイな箱(?)の中みたいで。
あれ……音楽会とかで出てくる音響反射板みたい(笑)

後、そのセットのちょこっとめくれてる風のところが、前より主張してなかったからかなぁ?(印象として)。

少し八百屋になってる床も、役者は大変だろうけど見やすいと思ったし。
上手下手のセット(とゆーか壁?)の一部が開閉して人や物が出ハケしたり。
縦に照明が入っていて、スコットの作品のタイトルが出たり。
後、前回はホリゾントに場所や時間などの文字だけが出てたけど、今回は映像も使ってわかりやすくなってました。
背景の映像が、やたらキレイで……リビエラの夜景と、湖……かな?よかったです。

ものすごい前方端席に座った時も、かすみ幕のすぐ後ろのソデが見切れ無いように、びっちり袖幕で隠してて、正直「鳥目の私なんかだったら、暗転の後ソデにハケられないわ」と、びっくりしました。
ソデの明かりとか全然見えなくて……DCのソデのたまりってどんだけ広いねんって思いました(笑)
スピーカーの下は通らないように、大きくバツ印が付いてて(笑)それを見た時は、なんか安心しました(笑)



とにかく、見やすかったです(笑)





冒頭、スコット・フィッツジェラルドである彼(れいこちゃん)は、人生最期の時を迎えようとしている所から始まります。

台本のト書き通りに、彼(スコット)の最期を演じようとしている。

愛人シーラ・とーかちん(憧花ゆりの)のアパートで身体を気遣いながら小説を書いていた、晩年のスコット。
大学のフットボールチームのメンバーをチェックしながら、チョコレートバーをかじり、ふっと思い立って暖炉の方に歩き出す。
そこで心臓発作を起こして帰らぬ人となる。

一言ひとこと確認するかのように話す、彼。
それを補足するかの様な、照明の動き。


……あー……10数年って凄いなぁと思いました。技術の進歩が……。
前回は、サス(上から吊っている照明機材)の明かりを四角に切って、3台位でその場面を表現していたのに、今回はムービングライトでした(笑)
スコットの座っていた肘掛け椅子から、暖炉までの動線が、くっきりハッキリ見える……。

導入部として、凄く良いと思いました。


彼(れいこちゃん)が、現代に生きる俳優TSUKISHIROくんが、私達を……とゆーか一緒に、スコットの生きた証というか、彼(スコット)が人として、夫として、作家として……どういう生き方、考え方を持ち最期の時に何を思ったのか、何を残したかったのか……それを理解しようとスコットの半生を辿ろうとする。そういう話だと、感じました。

TSUKISHIROくんはTSUKISHIROくんだったり、スコットだったり……行きつ戻りつしながら、役者のメンバーを呼んで半生を辿る芝居をする。



「月城かなと」という役者が、「スコット・フィッツジェラルド」という役を演じるという……まぁ、普通の芝居の形ではなくて、「月城かなと」が「TSUKISHIRO」という役者として「スコット・フィッツジェラルド」を演じるという……なんともややこしい形態の芝居だからか、普通のお芝居より、役(スコット)に対する芝居が冷静というか、堅実というか……や、それはれいこちゃんの元々の特性かも知れないけど……なんというか……所々で演者やなと感じました。
「あ、今TSUKISHIROくんが、スコットの悲しみを全身で表現してる。」とか、「あ、きっとスコットの心の内を表現しようとして、今お酒をあおったな」とか……なんというか……いい意味で、役から一歩離れた感じを受けました。

上手く言えないけど……ガクリ

TSUKISHIROくんが、演じる「若かりし頃のスコット」「ゼルダ大好きなスコット」「時代の寵児になったスコット」「一流作家になりたくて焦ってるスコット」「ゼルダとケンカするスコット」「甘々パパなスコット」「負け犬なスコット」「(ゼルダだけでなく)あげる愛が増えたスコット」が、リアルであればある程、よりスコットの心に近付こうと努力したTSUKISHIROくんが見えるというか……。


面白いんだけど、「月城かなと」が演じる「TSUKISHIRO」くんは、感じないんですよ。でも、「TSUKISHIRO」くんが演じる「スコット」は、感じる。
れいこちゃん……すごいなぁと思いました。

1度、れいこちゃんに「TSUKISHIRO」くんの役作りを教えて欲しい位です。


一寸逸れました(笑)


場面毎の大道具(机とか椅子とか)の転換を、場面にあった役者がやるっていう演出も、面白いというか、好きです。

完全暗転(真っ暗)にはほぼならないで、薄明かりの中で、芝居の延長として転換する……もしくは、場面が始まっている中で、役としてやるとか……。
なにが良いって、話の流れが止まらないってところですよね。

バミり(定位置の印)が、なかなか分からなくて、前方席の時に注目していたのですけど、うっすら蓄光が見えた気がしますが……そんな程度のバミりで、あんな転換したんだ!と、びっくりしました、

で、そのハケさせた道具を、舞台上に残しているのも、この作品では意味があるんですよね。


特に、机が印象的でした。
どの場面にもある机。

多分、普通に「フィッツジェラルドの物語」だったら、ちゃんとハケさせると思うんです。
……てか、初演の時には「なんでハケさせないの?」って思ってた位なんですけど……。

なんというか……机自体は、ほぼスコットの席なんだけど……それがずっとあることによって、視覚的に(?)ただの「フィッツジェラルドの物語」ではないと、感じるというか……その物語に入り込みすぎずに、一寸離れて観てるられる所もあるなと、思いました。

かといって、劇中劇って程離れた感覚でもないんです。

面白いです。

観ている間、実はずっとこの感覚があって、ワクワクしてました。


後、ぽつぽつ「本水」使ってる所が面白いです。
出すっぱりのれいこちゃんが、喉を潤すために、机に置いている水。
ゼルダ・くらげ(海乃美月)がスコットの睡眠薬を大量に飲んで自殺未遂する時も、この水を飲んでました。

そして、水だけどシャンパンとして、パーティーばかりに明け暮れて、仕事をしなくなったスコットの目を覚まさせようと、マックス・まりん(悠真倫)が、グラスの中身をスコットに浴びせかける。

大変、効果的でした。

初日、めっちゃびっくりしました。


効果的といえば、1幕ラストでジャズエイジの終焉、世界大恐慌の始まりを、巨大なゴールドのアメリカ国旗に、舞う紙幣を映像で映してからの、国旗の片側を落とし、2幕で振り落とす(と言っていいのか……)という演出も、効果的でした。

インパクトすごい(笑)

でも、なんだろう……。
れいこちゃんのスコットって、あまり自堕落な印象受けないんですよねー。
やっぱり、本人の素質かしら?


演出繋がりでもう3つ。
娘(スコッティ)との場面から、勇気をくれた学生・おだちん(風間柚乃)との場面と、ゼルダの手紙の場面。

時代の流れに付いていけないスコットを、緩やかな流れに……でも、止まらない様に導いてくれた場面(エピソード)だと思います。

スコッティ・こありちゃん(菜々野あり)に関して、それまでは全然出てこなくて、いきなり大きな子がいるから、最初(初演)はびっくりしたんだけど(笑)
父親としてのスコットって、ちゃんとお父さんしてる。本当に娘を愛してて、ちゃんと将来を考えて教育してる。そして、とても良い娘に育ってる(ローラでなくても、「はいっ!」って言っちゃうわそりゃ(笑))
ゼルダが入退院を繰り返す中で、唯一の家族でそれも、愛する娘という存在が、どれだけスコットを支えただろう……。

本人と知らずに、作家スコット・フィッツジェラルドについて話す学生。あまりにも正直で、まっすぐで優しい言葉。
自分はもう要らない作家だと思っていたスコット
にとって、どれだけ励みになった一言であったか。

そして、愛するゼルダの愛に溢れた手紙。
魂で結びあった2人だと、お互いなくてはならない存在なんだと。
涙無しには観られない場面でした。

もちろん、演出家の意図を汲み、的確に芝居をした演者の力が大きいです。
でも、あそこにあの場面を入れようと決めた、脚本家であるけーこちゃん(植田景子)先生の手腕は素晴らしいと思いました。

そう。
アル中とスランプで、一寸ノイローゼ気味になって、ローラ・なっちゃん(夏月都)にも去られて、1人部屋で呆然としていたスコットの場面(幻覚が出てくる一寸前)。
青の照明で、窓枠の影を落として、静かに雨の音をSEで流しているのが……なんて孤独感満載の演出なんだ!ついでに言うと、寒々しいのもサイコーだ!と、感じました。

やー、別に新しい演出ちゃうのに……ハマるんですよね、要所要所で。


脚本的には、パリでアーネスト・ありちゃん(暁千星)と会っている所にゼルダが邪魔しに来るところの(初演からの)変更点がよかったです。
自分(ゼルダ)の浮気はあらだけ荒ぶってて、自分(スコット)は男と何してんの?!的な(笑)や、笑い事では無かったんでしょうね、ゼルダ的に。
めっちゃ真顔で「どうなの?」とアーネストに聞くのが、やたら怖かったです(笑)←結構ストレートなセリフになってましたよね
本気でこの夫婦やばいなって。
アーネストのセリフは逆に「奥さん、言っちゃ悪いがおかしくないか?」的なセリフを「奥さん……」で止めたのがよかった。
そんな事、親友でも言われたくない事だし、言っていいことではないからね。




キャストに戻ります。
TSUKISHIROくん以外のキャストも、自分が演じているキャラの心を知ろうと苦労しながら作って、板に乗せてるんだろうなぁと思って。

脚本に全てが詰まってる。ト書きにヒントがあるとはいえ、実在の人物役は資料めっちゃ読んだんだろうなあって。


なので。
ラストの、「スコットの最期の数分」を演じようとして躊躇うTSUKISHIROくんの気持ちがバシバシ伝わるし、「こうじゃない!」って、やり直すのもよく分かる。

で。
そこの表現の仕方が、DCの後半(もっと言うと前楽と楽日)に変わったと感じました。


最初は、「死の間際になにか残せないか」という風に机の紙に何かを書くんだけど、「や、こんな事じゃない!」と止めてしまって。
ふっと目に付いた写真のゼルダに、自分が先に逝ってしまったら彼女達や娘はどうなるのかという、不安を感じて……。
せめてもの償いに花を置いて去る……。

そんな風に見えてたんですけど。

ラスト2回は、「死の間際になにか残せないか」と、紙に何かを書く……までは一緒なんだけど。
書いているうちに愛する人たちへの想いが溢れすぎて、「書いて残すのでは伝えられない」と、止めてしまう。
机の上の写真を見て、ゼルダとの幸せな日々を思い出し、自分がいかに幸せな一生を送ったかを感じて……、ふっと目に付いた花を、感謝の気持ちでそっと置く。

に、見えました。


めっちゃ真逆!

表情が、全然違ったんです!

本当に、驚きました。

TSUKISHIROくんに……や、れいこちゃんになにがあったの?!って思いました。

演者として、こう……まだ「スコット・フィッツジェラルド」という人を理解しかねてるのが前の演じ方で、やっと、理解したのが後の演じ方の様に思えました。

でも、どちらも演者としていいと思います。

どちらも演出的に正解だと思います。

……好みは後者だけど(笑)


その、スコットのTSUKISHIROくんが、合図をすると照明が落ち、一筋の明かりだけがスコットの道を照らしていて。
客席に背を向けて、ゆっくり歩いていくスコットの姿が、ゆっくり闇にとけていく。

TSUKISHIROくんの行き着いた、スコットの最期はこういう終わり方なんだと。

たった1人で……でも、明るい道を歩んでいく。それは、関わった人たちの愛が、彼を支えていたから。
そういう最期だったと。

そう、解釈したと、感じました。
あ、ラスト2回は(笑)


蛇足だけど、(青年館の)初日、机の写真たてと花に落とすはずのサスが、机からも落ちてしまっていたんですけど……。
あれは、机の位置が悪かったのか、サスの位置が悪かったのか……とても気になりました(笑)
その日以外は、そんな事なかったので……初日、慌てたでしょうねぇ……スタッフさんたち(笑)
私も慌てました(笑)



そして、そこでラストにならずに、演者が演者としてキャラクターの思いを推測して、心を寄せる。
手には、スコットの本を携えて。

TSUKISHIROくんだったり、MITSUKIだったり、AKATSUKI(ありちゃん・暁千星)だったり……役として、キャラへのリスペクトと愛を語ってるのが……なんだかじわじわくるんですよね。

上手いなぁ……と思います。

そんなに新しい演出でも、奇を衒った手法でもないですけど……。

てか、初演見た時は別段なんとも思わなかったんだけどなぁ……。





それぞれの演者が、それぞれの役をリスペクトして愛して、ここまで作りこんでるんだから、良い作品でない訳ないはずで(笑)


キャストが舞台前ツラに1列に並んで、タイトルが見える様に本を掲げて見せるところは、本当に感動しました。


そして、今度はキャラとして、それぞれの位置で本を読みふける……。
幸せそうなスコットとゼルダ。

その姿にも、涙が止まらない訳です。

めちゃくちゃ幸せな時期は最初だけで、なにかとすれ違いまくった……けど、お互いに「愛するという以上に必要な相手」な2人の幸せな姿を最後に観られた事が、なお一層涙を誘う訳です。




そして、そこからの、お口直し、フィナーレ!驚きました!
や、お稽古場情報見てましたからね、あるのは知ってましたよ。
スカステ難民のお友達に「(フィナーレ)あるよー(@HERO)」って、ネタバレしてたくらいですから(笑)←その節はすみませんでした。

でも、本当に、予想以上のお口直しでした。
や、本当に絶望したラストではないので、いいんですけど、やっぱりしんどいじゃないですか。

そこに、さっきまで芝居していた人たちが、まぁニコヤカに歌い踊って出てきたら……。

つられて楽しくなっちゃいました(笑)

仏頂面メインのアーネスト・ありちゃんが、いつもの笑顔で。

みんなの楽しげなナンバー。

そして、幸せいっぱいの笑顔のスコット・れいこちゃんとゼルダ・くらげのこれまた幸せないっぱいのデュエダン!
そして、出ずっぱりだったのに、ものともせずに長めのカウント、くらげをリフトする、れいこちゃんの体力!おみそれいたしました。


本当に、今回フィナーレナンバーあったのは、よかったです。


暗くても、アメリカンでも、真摯に役と向き合う役者の本気の芝居は、心を打たれるばかりです。

清々しいというか……実直な清冽な愛に溢れた、素晴らしい作品を観ることが出来た……そんな良い気分で劇場を後に出来たのが、とてもよかったと感じました。




そして。
スコット・フィッツジェラルド、アーネスト・ヘミングウェイ、シーラ・グレアムの著書や関連本を、片っ端から読みたくなったのも、すごい事だと思います(笑)







……大変長々と、何日もかけて書いたものですから、あちこちに飛び散らかった文章になってしまいました。
読みにくいものを、最後まで読んでくださってありがとうございます。


あー、まだ書き足りない気がしますが……とりあえず、ここで……汗