魚吹津構居 姫路市魚吹津構居(姫路市網干区宮内)別名:津の宮城・勝城小字名を「殿垣内」と言い、周囲は幅五~六mの堀に囲まれていた。嘗ては播磨の中心だった英賀城の出城で、嘉吉の乱(1441)の時代に、すでに津の宮城との記録があり、天正八年(1580)、秀吉攻の時構主合田助九郎は部下八名と共に討死、この時津の宮も焼討された。別名を勝城とも言い、堀内に門口、番屋口、中の門、北の門の地名が残っている。(※現地説明看板より)魚吹津構居碑魚吹津構居跡姫路市の城