白鳥構居(姫路市実法寺)
『播磨鑑』に「古昔寺有。天文頃、鳥取(白鳥か)の構主小国十兵衛此寺を亡ぼし構居となししことあり」とある。小国十兵衛は天正八年(1580)の英賀城加力衆の中にその名が見える(『英賀城日記』)。『飾磨郡誌』によると「領主は源頼国の末葉小国大炊助頼福、嘉吉の乱に軍功あり。餘部荘岩崎を賜り此地に構居す。大永の頃は小国播磨といえり」とある。小国大炊助頼福が初代で、その子孫が白鳥山に構居していたのを小国十兵衛のとき実法寺に移ったのではあかろうか。英賀城落城の際三木家の重臣堀内氏がこの構を頼って逃げて来たといわれており、構の敷地内に堀内家も小国家も居住している。
(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)
西堀跡