賀屋構居(姫路市夢前町山之内字立船野)
この構は赤松孫四郎兵庫頭祐利の築いたものという。祐利は赤松則祐の曾孫であるが、病のため嘉吉の合戦に参加せず、天神山城を退いて山之内に入りここに城を築いた。しかし、弟の祐定はこの合戦に参加したため山名氏に攻められ賀野城から退転したという。『赤松家播備作城記』には「山之内 蜂ノ巣山の城 飾西郡賀野郷 大河内民部大輔滿政(赤松氏応永年中初為居城。不久而破城矣)」とある。滿政は天神山城主であった人である。天神山城主赤松祐利が嘉吉の変(1444)後、天神山城を出てここ賀野構に移ったことと混同されているのかも知れない。
(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)