脇田城 旧美嚢郡吉川町脇田城(三木市吉川町富岡)脇田城は脇田小次郎の居城で、弘治年間(1555~1557)に古川城主井口備前守時重の家臣の攻撃を受けて落城したと伝えている。『備前守井口君祠記』によると、脇田村脇田小次郎は荒川村藤田某や古川村井口備前守時重と親しく、3人は常に会っていた。小次郎は井口時重が藤田某の酒宴に招かれた帰り道に襲って殺し、丹波へ逃げた。弘治年間の正月十六日のことである。主人を殺された時重の家臣は脇田城に攻め入り、その妻子や一族を惨殺したという。(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)北西二郭(二ノ郭)北西二郭の西土塁主郭(一ノ郭)北東三郭(三ノ郭)北東四郭(四ノ郭)帯曲輪状の東五郭北東下段(五ノ郭)東五郭南西上段(五ノ郭)脇田城遠望軌跡ログ旧美嚢郡吉川町の城