久保木城 旧英田郡作東町久保木城(美作市原)「東作誌」は英田郡原村の「古城」として、山の坂道は約四町、頂上は平坦で西に段あり、城主は安東一之丞と記し、別に安東氏系譜などでは久保木城の城名もみえるとする。『英田郡史考』は「久保木城」として、城主は安東肥前守頼信で永禄三年(1560)尼子氏と戦い討死とする。『美作古城史』は「久保木城」と「原城」の項をそれぞれ立て、前者は本丸(十五間四方)、ほかに五間四方、四間四方、六間四方の算段があり、後者は城主を安東市之丞とする。(※美作国の山城より)南五郭南五郭の東竪堀南西四郭南東三郭南二郭南二重堀切(南)南二重堀切(南)からの東竪堀南二重堀切(北)南二重堀切(北)からの西竪堀南二重堀切(北)からの東竪堀主郭南帯曲輪主郭主郭西帯曲輪主郭北帯曲輪主郭東帯曲輪帯曲輪状の西二郭帯曲輪状の西三郭図に描き忘れたが、帯曲輪状の西四郭北東二郭北東三郭北東四郭北東五郭北東六郭北東七郭北東八郭北東八郭の北土塁北東堀切北東九郭北東九郭北西帯曲輪北西帯曲輪の西下の腰曲輪久保木城遠望実地踏査を基に作成した概略図軌跡ログ旧英田郡作東町の城