目崎城 苫田郡鏡野町目崎城(苫田郡鏡野町下原・津山市領家)正保書上五十四城の一で、「古城之覚」は苫西郡下原村の「眼崎之城」として、城主不詳、領家村に跨がるとする。「作陽誌」は「目崎城」として、一名を妻山、山頂へは三町余り、砦跡が残る、事跡不詳、目裂金剛王が拠ったとする。「美作鬢鏡」は城主を「浦山左馬助行信」とし、「美作鏡」は「目崎城」として城主を「浦山行信」とする。天保国絵図に「目崎古城跡」とある。『日本城郭全集』は「目崎城」、別名を妻山というとする。(※美作国の山城より)下郭東下段下郭中段下郭西上段東十郭東九郭東八郭東七郭東六郭改変で段差が不明な東三郭・東四郭・東三郭北畝状竪堀群を南側から二十条東二郭主郭主郭西帯曲輪北西二郭埋もれて浅くなった北西堀切北西三郭北西三郭の南東土塁北西四郭北西五郭北西六郭北畝状竪堀群(十条)を北から順に北三郭北四郭北五郭北六郭北七郭北八郭北九郭浅くなった北堀切西畝状竪堀群を北側から十六条かなり浅い南堀切南二郭南二郭の南土塁南二郭南腰曲輪南大堀切南東三郭南東四郭南東五郭南東六郭南東七郭南東八郭南東九郭南東十郭目崎城遠望軌跡ログ旧苫田郡鏡野町の城