長井大野城(美方郡香美町香住区大野字城山)
大野城は矢田川の東岸、標高約160mの阿瀬山山頂に所在する。集落との比高は約120mあり、城域は東西約75m・南北約180mを測る。
大野城主は阿瀬石見守重家であるという。重家は近江蒲生郡八幡山城主佐々木六角修理大夫の家老であったが、元亀四年(1573)5月主家が滅んだので、養父郡八木城に移り、その後大野城主になったという(『長村誌』)。また、天正八年(1580)、秀吉が「射添強盗」「小代一揆」を制圧して因幡鳥取城攻めを行った時、重家は味取村に居住しており、森脇忠良と共に鳥取までの道案内をしたとある(『七美郡誌稿』)。しかし、これらのことは一次史料では確認出来ない。
一方、「新宮山仏頂寺略記」(宝蔵院文書)によれば、油良村仏頂寺(現廃寺)は古くは但馬守護山名・加鹿野城主野石氏や「大野城主原殿」の墓所・菩提寺であったという。
弘治三年(1557)の『但馬国にしかた日記』によれば、大野村に「原若狭守」が居住しており、城主が原氏という前掲「仏頂寺略記」の記載を裏付けている。
※村岡区大野にも「大野城」があり、区別するために城名を「長井大野城」といた。
(※香美町の城郭集成より)
北西十七郭