標高208m・比高180mの打吹城(倉吉市仲ノ町・鍛治町・みどり町)は宇津吹城・宇津葺城などとも書かれ、倉吉市役所の背後、打吹公園から遊歩道が整備されている
南北朝・室町初期における守護の居館(守護所)について、江戸時代の地誌の一つ『伯耆民談記』(寛保二年〈1742〉頃成立といわれる。)に、山名時氏の拠点として国府川筋の久米郡田内城(現倉吉市厳城)を挙げ、田内村に侍町・寺院が多くあったという伝承を記す。田内城から南西約2kmの地にある打吹城(現倉吉市)は、その子師義の築城と記している。
打吹城山は標高208m。ここは東伯耆三郡の一つ久米郡のほぼ中央に当たり、伯耆国府なか近い、地形的に見ても守護所を置くに相応しい場所であろう。
(※倉吉市史より)
現地の案内図
登る途中には、怪しい櫓のような展望台
八十八ヶ所のある越中丸
越中丸は安土桃山時代に打吹城の出丸として築かれました。その当時の打吹城は、羽衣石(湯梨浜町羽衣石)を本拠とする南条氏の支配下にあり、南条備前守、山田越中守、小鴨元清の三人が城番として派遣されていました。そして、この三人は打吹城の改修を行い、それぞれ中心となって築いた場所は、備前丸・小鴨丸・越中丸と呼ばれています。
(※現地説明看板より)
すぐ近くには井戸
城域内にある長谷寺…
ここも曲輪の一つであろう
また、遊歩道を逸れた山中には空堀が巡らされている所も
備前丸
その背後には堀切
本丸(主郭)の虎口
主郭
主郭の「天守台」
主郭の側面には石垣が
北へ下りた所には、土橋の架かる空堀
空堀は薮の中を延々伸びる
小鴨丸
備前屋敷跡
里見屋敷跡
打吹城遠望
まさに守護所を置くに相応しく、鳥取市の鳥取城(久松山)のように威風堂々と聳える
倉吉市の城