標高492m・比高400mと調査報告書に記載されている琴弾城(岩美町長谷)は、琴引城とも呼ばれる…
岩美郡岩井村大字長谷村櫓野と称する険山に在り、天正年間浦富桐山城主、垣屋隠岐守光成之を築き牙城として因但の国境を守備せり。
(※岩美郡史より)
長谷部落の最奥部因但の国境近くの櫓野と呼ばれる険山の山頂がその城跡と言われる。築城については詳細不明であるが、一説では源頼朝より巨濃郡長谷村の地頭職に任ぜられた岡森氏の築城だと言われている。岡森氏はこの地に住みつき豪族として栄え、善政を施したので、住民がその徳を偲び祠を建て岡森大明神として祭ったと言われる。更に近くは秀吉により浦富桐山城主に封ぜられた垣屋隠岐守が但馬に対する連絡の出城として用いたとして知られる。
(※岩美町郷土文化研究第九集より)
資料によって、違う位置に記載されている
因伯古城跡図志の絵図
正確な場合が分からない為、二度に渡り踏査に赴き、それらしい所は一通り歩いてみた
南出丸
背後には大土塁のような尾根
西出丸の曲輪群
西曲輪群
北西出城の曲輪群
そして、中世城館分布調査報告書の縄張図に、最も地形の似た箇所…
ここが琴弾城か…
南へ行くと、天然の堀切…
軌跡ログ
二度目の踏査では西から縦走し、6時間山中を徘徊した
岩美郡岩美町の城