標高188m・比高98mの半滝城(岩美町蒲生)
岩美郡蒲生村大字蒲生村の後ろに在り。因幡の守護山名家の武将、安藤采女正の居城なり。采女正(兄弟二人あり)は、同郡岩井村大字白地村に、一は同郡同村大字宇治村に居城し同郡本庄大字恩地村以奥を分領す。唯其落城せし時を確かにするを得ず。後世因伯の太守池田家の家臣安藤弥右衛門は此の采女正の正統なりと云う。
(※岩美郡史より)
蒲生部落の上手の後山、現在の蒲生小学校の対岸にある二百米余りの岩山の頂きが城跡である。前面に自然の内堀 蒲生川、背後は高い山並みが続く自然の要害で、但馬山名氏に対する重要な城であったと思われる。因幡山名氏の武将安藤采女正の居城跡と言われる。采女正には二人こ弟がおり、一人は白地村の白地城に、末弟は宇治村の下香谷城にいたと云う。安藤氏は奥は鳥越より口は恩志の辺りまでを領していたが、その没落は何時頃か不明であるが、多分豊臣氏の因幡攻めの際落城したのではないかと思われる。付近の馬場八幡宮に采女正寄進の胴甲一領・長刀一振が残っていると言う。
(※岩美町郷土史文化研究第九集より)
登って行くと、東曲輪群には、お堂が…
その東には、縄張図には記載のない堀切
さらに西にも堀切
途中には竪堀
中曲輪群の第二郭
主郭…奥に神社…
神社は廃墟と化している
中曲輪群と北曲輪群の間の堀切
階段状に帯曲輪が連なる北曲輪群
北曲輪群主郭
北曲輪群北端の堀切
中曲輪群と西曲輪群の間の堀切
西曲輪群主郭
西曲輪群西端の堀切
半滝城遠望
この遺構の見事さは、岩美町内の城の中では屈指だ
岩美郡岩美町の城