標高384m・比高274mの磨山城(鳥取市河原町小畑)は、旧河原町でも弩級の山奥
磨山城は、湯谷と小畑の境の山にある。玉津鵯尾城が落ちた時、武田の家人らが多数 砂見谷へ逃げ込み、ゴウロ谷という所より この山へ隠れていたのを山名豊国と家来が包囲して残らず切り捨てた。その時、血が小川のように流れたので血谷と名付け、今 訛ってヒ谷という。
なお小畑の下に首塚という小林中の一丘は、その時の首を埋めた印だと言い伝えている。
(※河原町誌より)
荒れ果てた山中へ直登…
しかし、微かに踏み跡がある…
薮に覆われた西三郭…しかし、微かな踏み跡が…
薮に覆われた西二郭…しかし、微かな踏み跡が…
薮に覆われた主郭…しかし、微かな踏み跡が…
主郭の東端に祠が
もしや、踏み跡は、かつての参道か
東二郭…
ここより東へも、踏み跡が続いていた
磨山城遠望
軌跡ログ
こんな山奥の城へ行く人間が、他にいるのだろうか
旧八頭郡河原町の城