標高70m・比高25mの天守山城(大山町下市)は、城郭大系では別名の下市城で記載されている
天正の頃に吉川元春の家臣・森脇若狭の居城だったが、その後、元春が安芸に帰ったので森脇若狭もそれに従い、そのまま廃城になったらしい…
調査報告書によると、南側は鎌倉時代の築城、北側は安土時代の築城と書かれている…
実際に行ってみると、南側は畑地として、かなり改変されており、縄張図の西に見える折れ曲がった空堀は発見出来なかった…
北へ向かうと、堀切
この堀切の規模はなかなか見事なものだが、倒木や薮が酷い
そして堀切に架かる土橋
そして土橋の先の主郭の虎口
主郭は西と南を土塁に囲まれている
しかし北と東には防備は無い…
東麓には下市川が流れているので、それを天然の堀としていたのだろう
西伯郡大山町の城
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