標高550m・比高90mの友広城(日南町中石見小字友広)
大倉山から南にのびた山麓の高所、友広集落北方の「要害」にあり、数段の平地が造られており、池田丹後守の居城であったといわれている。
(※日南町誌より)
何軒かの民家のある南西麓から山へ入って行くと、縄張図には記載されていない堀切
西へ移動すると、階段状の曲輪群が連なる
南二十三郭と南二十二郭
南二十一郭には西に土塁
南二十郭~南十九郭
南十八郭は石垣で固められている
南十七郭は西に長大な土塁
そこからも曲輪群が連なるが、ひたすら曲輪のみで土塁・石垣・堀切・竪堀などは見られないので、写真は省略する
南三郭~南二郭
巨大な土塁のある主郭
友広城遠望
軌跡ログ
日野郡日南町の城