標高140m・比高27mの外構城(伯耆町福吉)は、進四郎三郎祐定の城と伝わる…
長慶谷を挟んで南が外構城跡、北側が城の段といわれる館跡、外構城跡はかつて進氏の居城といわれる。最上段に俗に「城八幡」という八幡社跡の石垣が残っている。それから一段下がって平地、この平地からまた、一段下、東南面に山を半円形に削平している。ここに深い井戸跡がある。以前は投石してしばらく後に水音を聞いた程深かったという。この城跡も、野上城跡同様北西の長慶谷の尾根を掘削して周囲が切り立ったような険しい孤山、北の城の段は台上が広い平地になり、長慶谷の一翼となる。東に開けた背後の長慶谷、昔お立山もあった。谷尻が両翼のように二つが向き合い、そして裾に「公卿さん墓」といわれる塚もある。長慶谷、公卿さん墓、進の、何か南朝に関わりがあるかも知れない。総ては霧の中である
(※文化財ガイドブックふるさと溝口より)
福島の外構城、字城山にあり南に面する一孤山にして、頂上に石垣残存し、第二段に深き井戸あり。進祐定の居城といい伝う。鎌倉山城の出城と伝えられる。
(※溝口町誌より)
道路脇には北西四郭I
その上の北三郭I
長く広い北四郭I
北五郭I
一気に移動し、五輪塔や社のある東五郭I
東四郭~東三郭I
北東三郭I
主郭の北東を囲む帯曲輪状の北東二郭I
北東二郭には、内側が石積みされた井戸I
明瞭な西竪堀I
主郭I
主郭には土塁…
石積みしてあるが、これが記載にある「石垣」かI
西堀切I
外構城遠望I
軌跡ログI
旧日野郡溝口町の城