カゴメは、福島県産加工用トマトの栽培再開のみならず、作付け面積を2010年度よりも15%拡大することを目指して、JA全農福島、各農協および契約農家の皆様との取り組みをこれからも続けてまいります。

http://www.kagome.co.jp/news/info/110511.html


2012年度以降の福島県産加工用トマトの栽培再開と生産量の増大に向け、 全国農業協同組合連合会福島県本部(JA全農福島)、各農協および契約農家の皆様に十分ご理解をいただいた上で、以下の生産振興の取り組みを一体となって進めてまいります。

契約農家の皆様には、2012年度以降も契約を継続していただけるよう、買い取り予定額の3分の1相当額を経済支援いたします。


福島県とJA全農福島にご協力いただき、福島県内の各地で試験栽培を行います。


カゴメにおいて、分析体制を整備し、2012年度以降には、加工用トマトを安心して栽培いただけるよう、調査・分析を行います。
なお、カゴメは、福島県産加工用トマトの栽培再開のみならず、作付け面積を2010年度よりも15%拡大することを目指して、JA全農福島、各農協および契約農家の皆様との取り組みをこれからも続けてまいります。


以上


さてはて、汚染されているかどうか。消費者にはわかりませんが、私は食べないし、子どもには
食べさせれません。外食が本当にできなくなりますね。。。


何が本当の支援か、企業はもっとシビアに考えてほしいです。
お久しぶりです。ママなごっちんですクローバー


すみません、原発関連ばかりの日記(しかも転載ばかり)で。。
文章力諸々がないもので、文章を考えるのに時間がかかるため、生ものの情報をいち早くアップしたくて、
転載に従事しておりました。


ただ、震災以前の、他愛もない育児ブログを楽しみにしてくださっていた方がいらっしゃったらしく、
人づてに(オンライン上じゃないのがポイントww)「ごっちん、最近、原発の日記ばっか!!えー」とクレームを頂きましたww

そういう方がいらっしゃたのは、私自身、驚愕の事実なっ・・・なんと!

日々の生活、情報収集、情報発信と、なんだかんだでブログが疎かになってましたが↓↓
そんな方が一人でもいらっしゃるなら、私も生きている価値があるというものにこてへ
今後は、時間を見つけてちょいちょい育児ブログもアップしていきますしゃきーん

アメンバー限定にしていたりするのは、育児日記はあまりにのほほんとしているので、
シリアスな情報の横に、ギャップがありすぎてちょっと控えているのであります。
あまりいらっしゃるとは思いませんが、もしよろしければ、アメンバー申請していただければ、
とてもとても嬉しく、天にも昇る気持ちです。。

ちなみに今日から、娘とごっちんは、旦那さんがいる北海道に行ってきますきゃーハート

10ヶ月にしてもう飛行機にのる娘。お母さんが飛行機にはじめて乗ったのは23歳だったのだよ?
あんたは1歳なってないのに。。。

3ヶ月ほどで福岡に帰ってきますが、福岡の皆さんとはしばしの別れ涙
北海道で久々に親子三人。不慣れな土地で、ジジババの助けもない生活。

皆さんがされているように、私も修行してきます~らぶ②萌萌萌ww

北海道の皆さん、仲良くしてください!!(切実)


さてさて、まずは長距離移動、がんばろうキャッ☆
茨城県鹿嶋市のお母さん方ががんばりました!
徹底的に汚染食品を排除してコドモたちを守ってください!!
鹿島市教育委員会は、風評被害という攻撃からコドモタチを守る盾になってほしいです。
 このある種、勇気のある決断(そう評価しないといけないのが悲しい意現実。。)に、
他の教育委員会も追随してほしい!


以下、ヨミドクターより転載


 茨城県鹿嶋市教育委員会が、福島第一原子力発電所事故による放射線の影響を不安視する声を受けて、学校給食に県産食材の使用を見送っていることが28日、分かった。

 県内の農畜産関係者らは「風評被害を助長する」として、市教委の対応を疑問視している。

 市教委の担当課によると、県産食材の使用を取りやめているのは、市内17小中学校のうち市学校給食センターで調理している16校の給食。肉、野菜、魚など給食に使う食材の大半を関西や四国地方などから仕入れているという。学校給食が再開された4月中旬以降、保護者から給食の安全性について不安の声が相次ぎ、市教委は県産食材の使用を見合わせる措置を取った。

 市教委はホームページでも、学校給食の食材について「摂取制限や出荷制限が出されている食材は使用していない」「当面は、西日本産を中心に食材を発注」「牛乳は福島産や茨城産原乳は使用していない」などとうたっている。

 4月に県産食材の不使用を決めた後も「県内で生産された食材は出さないで」「食材の放射線量を測ってほしい」などの要望が保護者から寄せられたといい、市教委は「今後も給食に県産食材を使わない」(鹿嶋っ子育成課)としている。

 茨城県によると、ホウレンソウ、パセリ、原乳などが一時出荷制限となったが、その後の検査で放射性物質は暫定規制値を下回り、原乳は4月10日に、カキナ、パセリは同17日にそれぞれ出荷制限を解除された。ホウレンソウも一部を除いて制限は解除されている。福島県産の原乳については一部が出荷制限されているが、「流通されているものは問題ない。福島県内の学校でも給食に使われている」(福島県)という。

 鹿嶋市教委の対応について、茨城県内の原乳メーカーは「風評被害を払拭するためにみんなで頑張っているときに、県産品に問題があるように公表するのはおかしい」と憤る。県からも「県産の農産物に不安を抱き、風評被害につながる恐れもある」(食の安全対策室)との声が聞かれる。

(2011年5月29日 読売新聞)

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=41400&from=tb

学校 1ミリシーベルト!? ― 2011/05/27 21:17
福島のママさんたちを中心とする闘いのかいがあって、やっと文科省が「学校内では年間1ミリシーベルト以下目指す」と発表しました。これは、大きな前進だと思います。

しかし、「年間20ミリシーベルト」を前提とする今までの姿勢よりはましですが、「学校 1ミリシーベルト以下」には、とん でもない誤魔化しがあることを見落とさないでください。仮に、学校にいる時間を8時間と考えれば、残りの16時間分をどう計算するのか… 誰がこんな詭弁を思いついたのか、心が寒くなります。

前提とすべきは、子供たちが、そして、すべての住民が浴びる放射線量を24時間計算で、年間1ミ リシーベルト以下にすること。これしかありません。

もう一点、原発事故の年間1ミ リシーベルトと、レントゲン撮影の年間1ミ リシーベルトでは、まったく意味が違うことを、再度確認しましょう。

病院のレントゲン室では放射性物質が飛び交うことはありません。私たちが受けるのは純粋に放射線(この場合はX線)だけです。それでも、危険がありますから、必要以上にレントゲン撮影を受けてはいけないのです。

一方、今の福島(というか東北・関東)は、たくさんの核分裂生成物(放射性物質)が宙に浮いたり、地面に落ちたりして、それが私たちに放射線を浴びせている状態です。
この間、議論されている、「年間○○ミ リシーベルト」とは、体の外にある放射性物質から、体表と通して被ばくする量(外部被ばく量)を表しているに過ぎません。レントゲン室の危険性と同じ考え方です。放射線を発する元である放射性物質自体が私たちの体内に入ってくることは、まったく想定も、算入もしていません。

放射性物質を吸い込んだり、水と一緒に飲んだり、食べ物と一緒に食べたりしたらどうなるのか… それが内部被ばくです。きわめて少ない量の放射性物質を体内に取り込んだだけで、深刻な放射線障害を起こします(早い話がガンになりやすくなる)。

ガイガーカウンターが示す線量(シーベルト)は、外部被ばくの量そのものを示していま す。放射性物質が、目の前にあれば線量は上がりますから、ある程度、内部被ばくの危険性を指し示しているとも言えますが、正確な対応はしていません。
それは、核分裂生成物(放射性物質)の種類によって、甲状腺ガンを起こしやすくなったり、白血病を起こしやすくなったり、内部被ばくによる障害は様々だからです。
線量(シーベルト)では、ストロンチウム90なのかセシウム137なのか、はたまた別な物質なのか、その種類を特定することはできません。また、ストロンチウム90などが放射するベータ線(電子線)を通常のガイガーカウンターで検出することはできません。

どんな種類の核分裂生成物(放射性物質)が、どこにどの位存在しているのか。このデータを東電や国は調べているのか?知っているのに詳細を発表していないのか?
10年、20年ではありません。私たちは、今、100年、いや1000年に及ぶ恐怖と直面しています。
どう対処するのか… そのためには、徹底したデータの収集と情報の開示が必要なのです。そして、少しでも危なかったら、「逃げる権利」を保証すること。もちろん、東電と国の責任で行うことは言うまでまでもありません。

「学校 1ミリシーベルト以下」は、確かに前進です。しかし、気を緩めてはなりません。



http://nucleus.asablo.jp/blog/2011/05/27/5884436
私設原子力情報室

転載いたしました。


ほっとしたのも束の間。子どもを守る戦いは、始まったばかりか。。。
いったい私たちは、誰と、何を守る戦いをし始めたのでしょうか?
不思議でならない。
「脱原発こそ国家永続の道」について

Filed under: 時事問題, 原発問題 — toshiueh @ 9:53:04


 原発事故から心が離れない。私は事故直後にすぐ判断した。日本の将来のことを考えて「脱原発」こそ目指すべき方向である、と。産経コラム正論(3月30日付)にも、『WiLL』6月号の拙稿「原子力安全・保安院の『未必の故意』」にもそう書いたし、4月14日のチャンネル桜の討論会では福島の学童集団疎開さえ提言した。

 福島第一原発の情勢の悪化を今も非常に心配している。狭い国土における「内部被曝」は人体におけると同様に始末に負えない。それに使用済核燃料の最終処理の見通しの立たない原発は、われわれが子孫に伝えるべき美しい国土を永久に汚辱し侵害するおそれがあると考えられる。私は「守る」とは何か、をしきりに考察した。派遣されたアメリカの大艦隊、「ともだち作戦」の真意と現実、東アジアにおける日本の陥った危ういポジションをどう考えるかも、問題として一体化している。

 こうしたすべての点を踏まえて『WiLL』7月号(5月26日発売号)に「脱原発こそ国家永続の道」(12ページ立ての評論)を発表する。ネットの読者には申し訳ないが、今のこの時点での私の考え方を集約した論考はこれになるので、ご一読たまわりたい。また5月26日より以後に、同論文へのコメントを今日のここに投稿していたゞけるとありがたい。

 事故直後から私は「脱原発」を唱え始めたと書いたが、私を取り巻く言論空間は必ずしも私と同じではなかったし、今も同じではない。あるいは無言と沈黙がつづいている。産経新聞は原発支持であり、『文藝春秋』と『正論』は態度を示さないし、『WiLL』6月号も雑誌として「脱原発」の声は上げていなかった。代りに『世界』がよく売れ、増刷に増刷を重ねていると聞く。

 事故以前にすでにあったイデオロギーの対立が事故以後に引きつづき持ち越されていることは明らかだが、資源エネルギー問題などをイデオロギーに捉えられて考えるべきではない。できるだけ感情的にならずに合理的に、クールに考察を進める必要がある。人は体験から学ぶべきものである。これほどの大事故が起こった以上、心が震えない人はおかしい。今までのいきさつに囚われていてよいかどうか、原発について漠然と抱いていた固定観念をいったん白紙に戻す謙虚さが求められている。

 けれども保守系の言論界を見る限り、歯切れが悪い。原発は現代の産業維持に不可欠の存在と思い定めていて、梃子でもそこから動かない。もとより私とて原発は明日すぐに全廃することはできず、上手に稼動させ少しづつ減らしていく以外にないと考えている。しかし原発の新規増設はいずれにしてももう望めまい。望みたくても国民が許さない。

 いろいろな「悪」がこれから白日の下に曝されるようになるだろう。お金を積んで説得した地域対策費、すでに巨額にのぼり今後さらにどれくらいの額になるかも分らない廃棄物処理コスト、政治家やマスコミにばらまかれたこれまでの反論封じ込め費――これらが次々と暴かれるであろう。また暴かれる必要がある。

 原子力安全委員会委員長に斑目という人物がいる。You Tubeで彼の発言を聞いて、その余りにあけすけな卑劣さに、私は腰を抜かさんばかりに驚き、にわかに信じられなかった。彼は廃棄物の最後の捨て場を引き受けてくれる自治体はあるのかという質問に答えて、「お金ですよ。最後はお金です。ダメといわれたら二倍にすればよい。それでもダメなら、結局はお金ですから、五倍にして、否という人はひとりもいません。」

 巨悪ということばがあるが、巨大なものはどうしてもグロテスクになる。電力会社は日本経済の高度成長を支えるうえで決定的役割を果してきたが、度が過ぎると、自己抑制のコントロールを失う。台所の「オール電化」の叫び声がわが家の戸口にも襲来し、東京ガスを一気に追い払おうとしていた。東京電力のキャンペーンのしつこさは事故のほんの少し前まであった目立つ出来事だった。すべてはやり過ぎなのである。原子力発電が無限の利益もたらすという幻想に今度歯止めがかかったのは良いことだった。

 国民は健全な常識があり、賢明である。おかしいのはいつの時代にも知識人である。昔は左の知識人が常識を踏み外していたが、今はどうであろう。保守系の知識人や言論紙が少しおかしいのではないか。今日(5月20日)の産経の社説は、いま徹底的に批判されるべき(東電以上に批判されてしかるべき)原子力安全・保安院をしきりに擁護しているのには驚いた。

 菅総理を批判するのは今は誰にでも簡単にできる。民主党がダメなことは今では高校生でも弁じることができる。中国の悪口ももうそろそろ底をついた。こういう方向のこと、安易なことだけを元気よく語りつづけてきた有名な誰彼の教授、評論家、女性ジャーナリスト諸氏をみていると、原発の是非についてはなぜか固く口を噤んでいるのがかえって異様で、目立つのである。

 保守の論客たちは心を閉ざしている。何かに怯えて見て見ない振りをしている。原発事故の大きな悲劇と不安に対し、人間としての素直で自然な感情で対応しようとしていない。私は過日ソフトバンクの孫正義社長の講演をUstreamで聴いたが、さすが噂にきく大きな人物だけのことはある。真剣に考えていることはすぐ分った。国民の一人として心が震えていた。私は孫という人をこれまで誤解していた。皆さんもぜひ講演を聴いてご覧なさい。

 名だたる保守系知識人、名誉教授や有名な論客がたまたま一堂に会したシンポジウムがあったそうで、四月の末か五月の初めらしいが、「原発は必要だ、一度ぐらいの失敗でオタオタしてはいけない」の大合唱になり、会場で聴いていた人から私に連絡があった。「先生、僕は保守派が嫌いになりました。まるっきり反省がないんです。有名なK先生が、国鉄に事故ひとつない日本の技術をもってすれば、原発の事故なんて今後起こらない!事故が現に起こっているのにそう言うんですよ。」

 日本の技術が秀れているのは確かだが、国鉄にできて原発にできるとは限らないのは、当「日録」の粕谷哲夫さんのゲストエッセー(5月12日)を一読いたゞきたい。また、私の4月22日付日録に付せられた21番目のコメントをお読みいただきたい。原発技術はアメリカ直輸入で、国鉄などとはいかに違うかを考えさせてくれる秀れた内容のコメントだった。

 日本の技術は世界一だというのはひとつの「観念」である。この観念が成立するまでには力量と人格と哲学を具えた技術者たちの戦いの現実がある。日本の原子力発電にそれがあったかどうかが今後問われるだろう。

 保守系知識人は「観念」をう呑みにし、背後の「現実」を見ていない。知識人は左右を問わず、いつもそうである。「現実」から目をそむけて「観念」でものを言う。

 何も勉強しないで原発は絶対に欠かせないときめこんでいるとか、東電叩きは歪んでいる(東谷暁氏)とか、原子力保安院は一生懸命やっているとか、津波対策だけすればよく地震は心配ない(中曽根康弘氏)とか、最近のこういう声に私は思慮の欠如、ないし思考の空想性を覚えるだけでなく、ある種の「怪しさ」や「まがまがしさ」を感じているということを申し添えておく。

 反原発を主張する『世界』掲載の論文や小出裕章氏とか広瀬隆氏とかの所論はどれも力をこめて何年にもわたり原発否定の科学的根拠を提示しつづけて来た人々の努力の結晶なので、その内容には説得力があり、事故が起こってしまった今、なにびとも簡単に反論できないリアリティがある。例えば教授ポストを捨てて生涯を危険の警告に生きた小出氏などは、話し方にもパトスがあり、人生に謙虚で真実味があり、原子力安全・保安院長のあの人格のお粗末ぶりとは違って、説得力にも雲泥の差があるともいえるだろう。

 けれども一つだけ総じて反対派に共通していえるのは、大抵みな「平和主義者」だということである。彼らが軍事ということをどう考えているのかが分らない。ここが問題である。

 福島第一原発の事故の現場について誰も言っていないことは、核戦争の最前線に近いということである。ロボット大国のはずの日本製ロボットは役に立たず、アメリカの戦場用ロボットが初めて実用に耐えたことをどう考えるべきなのか。保守系言論人は、ここに着目すべきなのである。日本の技術は世界一だから一回くらいの事故でオタオタするな、などと空威張りするのではなく、世界一の技術がなぜ敗退したのか、そこから考えるべきである。武器輸出ひとつできない「平和病」の状態で、原発を世界に売る産業政策を口にするのはそもそも間違っていたのではないのか。

 私の「脱原発は国家永続の道」はこの矛盾の轍の中に飛び込んだ論考である。5月26日の『WiLL』7月号をお読みいただきたい。そして、コメントはここに記して下さい。

追記 『WiLL』6月号の拙論の題名「原子力安全・保安院の『未必の故意』は、私がつけた本来の題は「最悪を想定しない『和』の社会の病理」でした。花田編集長は今回は珍しく、題名をひねって取り替えたのは自分の失敗だった、と反省していました。


西尾幹二のインターネット日和
http://www.nishiokanji.jp/blog/wp-trackback.php?p=1053


21番のコメント

「日本人の限界」
 私はこの福島第1原発の事故をつぶさに見て、ある意味日本人の知的能力の限界をまざまざと見る思いがしました。事故処理の不手際もそうですが、津波が想定外だったといういいわけもまた何ともばかばかしい。そして問題の根本はもっとさかのぼったところにあるように思いました。津波を想定しなかったことを含めて、この日本の原発が全て米国の知的産物の上に立っていて、決してその枠から出られずにいる現実。つまりは日本人の知的能力の限界を示していると思うのです。
 1号炉はGE製(実際に製作施工したのは日本の企業かもしれませんが、設計図はGEです)であり、2号炉から6号炉まで、いや、日本中の沸騰水型、加圧水型を問わず全ての原発が米国が設計図を引いたものをコピーしたものです。あのフラスコ型格納容器(元GEの社員が小さすぎると指摘)がそのまま継承されている。つまり、日本人が作る原発が米国で設計された原発設計図から抜け出せないのです。個々の小さな製作の段階では日本人らしい改良の上手さで世界一の品質を誇っていて、この事故の後でも世界一の原発を作れるものとおもいます。しかし、あくまでマイナーチェンジの繰り返しの結果の品質世界一なのだとおもいます。だから、今作っても40年前のものと同じフラスコ型の格納容器であり、ドーナッツ型の圧力抑制プールなのです。そこに日本人の知的能力の限界がみてとれないでしょうか。あの形の原子炉を設計したアメリカ人の知的能力の高さに気づくべきです。さまざまな最悪条件を考え、あの形になったのだと思います。
 しかし、最初の設計者、原子炉、原発の基本設計思想を考えた賢い技術者にも考え及ばなかった事があります。それは、その原発が地震国でも使われるということです。何故なら、地震多発地帯に原発を作ろうなどという発想がこのスーパーエンジニアにはなかった。カリフォルニアなど一部に地震地帯はあっても、米国は基本的に安定した大陸の岩盤だからです。そんな地震地帯に立地しなくても地震のない場所は沢山あるわけです。何とも簡単な結論です。
 ところが、一方日本には地震のない立地などない。それなのに、地震のことなど考慮する必要の国の設計思想を元にした原発をそのままコピーしてしまった。マイナーチェンジで地震に少しは強い構造は作った。しかし、不十分だったみたいで、福島第1原発は津波が来る前に非常用発電機が故障していたという説もある。また、余震で東通原発が電源系統を全て失ったという事実もある。
 日本人には設計の基本思想から巨大なシステムを組み立てる知的能力に欠けているといえるのではないか。コピーとその改善でしかない。巨大なシステムであるがゆえに基本の設計思想までさかのぼって改善することができない。何故ならとてつもない知的エネルギーが必要だからです。このことは物の分野だけでいえることではないと思います。今回の事故での政治や行政のあり様を見るにつけ、機能しない原子力安全委員会や保安院のあり方という行政システムも上手に作り得なかったことが分かります。結局、このシステムもコピーであり、この行政システムの設計思想など日本人の考慮の外にあったわけだと思います。
 地震国日本では当然考えるべきことが、あまりにも巨大なシステムであるが故に考察されなかった。思考の省エネをやった訳でしょう。日本では原発のプラント全体を免震構造の上に乗せなければならなかった。浮体構造物の上でもいい。原発はちょっとでも揺れてはいけないのです。炉と発電タービンが一体でないといけない。何故なら、それらを繋ぐ配管が弱いからです。今回は津波だけがが問題だったと考えるべきでない。”地震国日本”を設計思想から外されたがゆえに津波のことも忘れさられたのであると思う。もし、最初に原発の基本設計をしたスーパー知能が日本で原発を設計すれば、当然揺れのことも津波のことも考えた上で設計思想を立てただろう。そこがポイントだと思います。
 浜岡原発が停止されることになった。中電幹部もほっとしているのではにだろうか。首相からいってくれたのであるから。青山繁晴氏(関テレ、アンカー)によると、4月に訪日したクリントン国務長官の強い助言があったからだということだ。これがなければ菅首相には止められなかっただろう。いや、日本人の首相にはだれも。続けているものは止められない、それが日本人だと思う。そして、浜岡を再開する時は東海地震の後ということになるのではないだろうか。何故なら、今後首相になる誰も、完全な自信を持って浜岡を動かせないからだ。全ての責任が動かす首相にかかってくるからである。
 原発には耐用年数というものがある。40年ということらしい。つまり原発は順次停止されていくだろう。しかも、耐用年数を越えての運転はもはやできないだろう。その責任は耐用年数を越えての運転を決めた人間にかかるからだ。あと10年後には日本の原発は半分に、そして、20年後にはほとんどゼロになるかもしれない。運転差し止め訴訟がなくてもあり得ることだと思う。
 発電量の限界によって、原発を前提にした上げ潮経済派がその考えを保てなくなるのは望ましいが、科学技術のおもしろさを知る者としては、この地震国でも全く問題のない原発を作ってもらいたい。恐らく既存の物ではだめだ。設計思想から日本オリジナルなもの。チェルノブイリ級の事故があったとしてもすぐに解決出来る方策を組み込んだ原発を。
 そして、それでも残る問題はテロや他国からのミサイル攻撃だろう。少なくとも北朝鮮はためらわず原発にミサイルを撃ち込んでくる。しかも、その中には死の灰をたっぷり詰め込んでおけばいい。原発というのは、人が近づけなければ容易に暴走することが、今回のことではっきりした。この戦術は軍事関係者ならすぐに気づくだろう。日本は、米国のように広い国土で、しかも敵国から遠いところにあるという立地にない。問題の多い国がすぐ近くにいるのだ。さて、どうする? 
 今後、事故が収束に向かいはじめたら、事故の調査が委員会を設けて行われるだろう。その時、本質を突いた事故調査報告書が書かれるだろうか。米国であれば、何万ページにも及ぶ報告書が書かれることが今までの例からもうかがわれる。さて、日本人にそれだけの報告書が書けるだろうか。これもまた、巨大なシステムである。日本人の知力がまた試される。


以上。


核を持たないはずの日本が、如何に国を守るか。
核を持たずして核を持つ。それが日本という国。

ならば、アメリカの保護なんて実はいらないのでは??