家の学校りらは 講師の中田です。
今日は、【講師の経歴その2 社会人になって】になります。
※前回が長くなりました。すいません
※興味がなけれスルーして下さい。
前回は、夜のアルバイトを始めた所で終わりましたが、このアルバイトは、結果的に社会人になっても続けました。
お昼の仕事は、測量登記事務所に就職です。
ここに就職したきっかけは、
卒業間際に学校の先生から、「先輩の会社で、人を探しているから面接だけでも行ってくれないか。」と、頼まれたからです。
1990年3月卒業時点で、就職が決まっていなかったのは、私とあと一人だけでした。給料が良かったので行く事にしました。
当時は、不動産の売買が盛況で今で言う【バブル】と呼ばれる時代でした。※当時はバブルと呼ばれていませんでした。
当然ながら昼の仕事も忙しく、同時に夜の仕事も忙しかったです。アイスペール一杯のお酒を飲み干すと、3万円程度のお小遣いをよく貰っていました。
こんな生活も2年程度で終わります。
マスターが、クラブのママから「私が養ってあげるからお店を辞めて。」と言われ、お店を閉めたからです。
私は同時にお昼の仕事も辞めて転職しました。
次の仕事は、夜店のお客様から
『親が建築の会社を経営しているなら、勉強になるから内においで。』と、声を掛けて頂いてそこに就職しました。
この時点では、何の仕事かは知りませんでしたが、お客様はある団体のお偉いさんで、就職先は団体幹部の経営する会社でした。
業務内容は、不動産売買、建築工事、ゴルフ会員権の売買などいろいろな仕事をしていて、時々、債権の回収にも同行していました。
私の仕事は、先輩の営業に同行する車の運転手です。
運転手と言っても、団体の偉いさんを送迎する事があるので徹底的に教育されます。
ブレーキのタイミングが遅いなど、様々な所で教育的指導が入りました。教育的指導とは、痛みを伴う指導です。
その他、挨拶などの礼儀を徹底的に教育されます。
先輩などとの会話は、フランクにしゃべる事ができるのですが、偉いさんとの会話で悪い部分があると、後で教育的指導が入ります。
このような先輩方々ですが営業で同行すると、お客様への配慮や気遣いは徹底されています。
お客様から無理な事を言われても、一切顔色に出ず笑顔で対応していきます。
お客様への対応力では本当に驚きました。
この会社も2年程度で辞める事となります。この会社は、働きながら自分で事業を起こし独立していかれる方がほとんどです。
上司から「実家の会社に戻ったら?」との声を掛けられ退職しました。
私は自分の事業を起こせない、ダメ社員だったと思います。
この会社では、キツイ事や痛い事が沢山ありましたが、生きていく上での人生訓を数多く学びました。
学んだ内容や、エピソードを書くと長くなるのでどこかで書きたいと思っています。
今日はこの辺で終わりにします。
次回は、講師の経歴その3 建築工事編です。
つまらない過去話ですいません。