ドストエフスキーは、プロメテウス神話のほかにも『罪と罰』と神話との結合を試みていました。それは、「ヨハネの黙示録」との結合です。ドストエフスキーは「黙示録」的な世界観を持つ作家でした。
「ヨハネ黙示録」13章には、二匹の獣が現れます。この二匹の獣は、いわば終末神話のプロローグを演じています。この二匹の獣が押させた「666」の刻印の意味は、聖書の用語解説に次のように記されています。
ヨハネの黙示録13:8で、ある人物の名を暗示する数字。ヘブライ語やギリシア語、ラテン語には特別な数字はなく、アルファベットの文字がそれぞれ数を表す。数を用いた暗号は、逆に文字に戻して解読することができる。666について最も有力な説は、ヘブライ語でネロ皇帝と読む解釈である。
初期キリスト教の迫害者ネロ皇帝の名、ネロン・カエサルをヘブライ文字で表記し、その文字に対応する数字を合計すると「666」になるのです。

  ヌン レーシュ ワウ ヌン コフ サメク レーシュ

  50 + 200 + 6 + 50 + 100 + 60 + 200 = 666

こうして、「666」という数字は、キリスト教の迫害者、アンチ・キリスト、悪魔を指す数とされました。「ゲマトリア」と呼ばれるこの計算法は次第に各国に広まり、それぞれの国のアルファベットを数値に代入してアンチ・キリストを割り出すことが、19世紀にも流行していました。20世紀になってもおとろえてはいません。
たとえば、ロシアの分離派は、宗教改革で自分たちを迫害したニーコン総主教の本名を「NIKON NIKITOS」とギリシア文字で表記し、

  N I K O N N I K I T O S

  50+10+20+70+50+50+10+20+10+300+70+6=666

また、ナチス・ドイツの独裁者は、ラテン文字表記で

  H I T L E R

  107+108+119+111+104+117=666

ドストエフスキーの時代において、ロシア人にとって最も脅威となった人物はナポレオンでした。1812年に「祖国戦争」を戦い、その後も長く、ナポレオンのセント・ヘレナ島脱出説などにおびえてきたロシア人にとって、ナポレオンはまさにロシアを迫害する者でした。
さて、ナポレオンをフランス語で綴り「Le Empereur Napoleon」とすると、

  L e E m p e r e u r N a p o l e o n

  20+5+5+30+60+5+80+5+110+80+40+1+60+50+20+5+50+40=666

そして、ラスコーリニコフですが、彼のフルネーム、ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフをロシア語で表記すると、次のようになります。

  РОЛИОН РОМАНЫЧ РАСКОЛЬНИКОВ

そして、イニシャルは「PPP」となります。
「PPP」というイニシャルは、ロシアではほとんどみられないイニシャルで、明らかに作為的なものです。
この「PPP」を上下に反転させると、「666」の数字が現れるのです。
『罪と罰』の創作において、創作の初期段階では、主人公はワシーリィ(ギリシア語のバシリオス〈王者〉から派生)・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフと命名され、中篇小説になる予定でした。しかし、ドストエフスキーは、ワシーリィからロジオンに改名することによる「666」の数字を発見しました。この発見はドストエフスキーの創造力を大いに刺激したと思います。彼は中編小説から、神話との結合をなす長編小説に構想を改めるのです。
そして、ラスコーリニコフは、アンチ・キリスト、悪魔という名前をもつ人物となるのです。
また、ドストエフスキーは、ニヒリズムの行く末と神話的終末思想との結合を試みていました。それは、ラスコーリニコフが見た疫病の夢として表現されています。
ついに、人々は、「目的もなく意味もない」憎悪に駆られて殺し合いをはじめます。軍隊と軍隊が衝突するだけでなく、その軍隊の内部でも殺し合いがはじまり、それが「互いに相手の肉を食い合う」人肉嗜食にまでになります。荒廃と飢えが世界を覆い、疫病だけがますます猛威を振るいます。
「ヨハネの黙示録」は「ノアの洪水」や「ソドム」、「ゴモラ」のように、人間の傲慢をいましめようとする「神の怒り」による終末神話ですが、ラスコーリニコフの疫病の夢は、あくまで人間が主体です。人間の集団的な狂気、そして人間自身の傲慢さこそが、人間を終末に駆り立てる最大の根源であるとみなしています。
ラスコーリニコフの疫病の夢は、「神亡き時代の終末神話」であり「ドストエフスキーの黙示録」といえます。
このラスコーリニコフの疫病の夢と、ナチスのユダヤ人虐殺、資本主義各国の赤狩りと反ソ・ヒステリー、ソ連の大粛清、中国の文化大革命、カンボジアの内戦、南米での虐殺、さらには、パレスチナ内戦、アフガン出兵、イラン・イラク戦争など現代に至るあらゆる流血との類似性を指摘する声もあります。
また、余談ですが、『悪霊』のシガリョフ主義、『カラマーゾフの兄弟』のイワン・カラマーゾフの「大審問官」がソ連のスターリン体制の予言であるとみる学説があります。
ドストエフスキーは、「666」のイニシャルを持つラスコーリニコフの夢と「ヨハネの黙示録」とを結合させ、ニヒリズムによる人類の終末の危機を警告しているのだと読むことができます。それはドストエフスキーが、ニヒリズムに見た退屈さと孤立主義、非道徳性と愛の喪失を、微生物に感染した人間たちの症状に見立てていることからも分かります。つまり、「ラスコーリニコフ=666」と彼の思想〈非凡人の法〉自体が終末のプロローグを演じることになるのです。
しかし、「ラスコーリニコフ=666=アンチ・キリスト=悪魔」の構図だけが、「ヨハネの黙示録」との結合ではありません。ラスコーリニコフは悪魔にしては、あまりにも人間的です。そして、悪魔性に徹して平然と死を選ぶことのできる『悪霊』のニコライ・スタヴローギンとは対照的に、生への執着が強いのです。
生きていられさえすれば、生きたい、生きていたい!どんな生き方でもいい。   生きてさえいられたら!……何という真実だろう!……これこそ、たしかに真実の叫びだ!
この生への執着心が、ラスコーリニコフにとって、更正への原動力となるのです。
そこで、小説の構成を見てみると、一つの事実が浮かび上がります。
『罪と罰』は、第一部(7章構成)、第二部(7章構成)、第三部(6章構成)、第四部(6章構成)、第五部(5章構成)、第六部(8章構成)とエピローグ(2章構成)から成っています。
この数に注目すると、「全6部+1部=7部」という構成は、「ヨハネの黙示録」の「7」を意識したものです。「7」という数字は、過去・現在・未来に存在する神を指す「3」と自然界(地水火風あるいは東西南北)を指す「4」との和である完全数とされています。また、『罪と罰』の「7」は、完全な「7」ではなく、不完全数「6」に短いエピローグのついた構成で、ラスコーリニコフの更正がまだ始まったばかりで、完全には成就されていないことを暗示しているのです。
そして、各部の章の合計は、「7+7+6+6+5+8+2=41」です。この数は、「黙示録」の獣の活動期間「四十二か月」から「1」だけ足りない数です。ラスコーリニコフは、小説にはない最後の「1」で、ソフィアの愛により信仰を取り戻し、「666」+「1」の変身が期待されているのです。
また、「PPP」を左右に反転させると「999」の数字が現れるとして、一人の青年「1」ラスコーリニコフ「999」が「七月はじめの酷暑のころ」に行動するということから、「一九九九の年、七の月」のノストラダムスの人類滅亡の予言詩との結合を示唆する学説もあります。ラスコーリニコフのニヒリズムが「恐怖の大王」となり、〈新しいエルサレム〉という「幸福の名」のもとに〈非凡人〉による支配に乗り出すという読み方です。