おつかれさまです。春です。

現在乗ってるしぶやの劇場の楽日は1月は31日まで。
明後日は初めての広島で、想像するとそわそわして、心を落ち着けるためについついビールがすすんでしまいますね。。。
なーんて酒飲みの言い訳ですが。



今日は演目についての話をしたいと思います。

おどり子さんはだいたい自分で演目のストーリーや音、衣装を決めます。
オーソドックスな流れは、踊って→踊って→脱いで→ポーズ決め。
時には最初から脱いでる逆すとりぷや、ポーズをきらないまま終わるものもありますが…。

春はまぁ俗に言うオタクというやつなので、ストーリーを考えるのとか、曲を組み合わせて起承転結の流れを作るとか、大好きなんです。

設定をこまかーく考えて、
自分にもこの演目の私はこれこれこういう事情があるこういう役!とかこまかーく話の筋を考えたりだとか。
気分はいっぱしの監督や演出家ですよ。


でも、楽しいはずのそれが、逆に自分の首を絞めたりもするわけで。

まだ表現力も拙いので、考えたことがまるっとお客さんに100%伝わるかというと…、
伝わらないんですよね。

演劇の舞台のように豪華な大道具が場面場面でその時の背景や状況をかわりに説明してくれる訳もないし。
自分の体調やその時のお客さんの反響を受けて、理想の演技の仕方が出しきれなくて悔しいときもあります。

あと、お客さんから「あのシーンは○○を表しているんだよね!?」と好意的に言われたときに
「はぁ?!私の中では××としてやったんですけどぉ?!」とムキになって敵意をむいてしまったり…
あまりいいこととは言えませんよね。


そんな時に、ある画家さんの言葉に出会って、とても感銘を受けました。


「僕は自分の作品に作品背景や設定をつけません。
なぜならお客さんがその絵を見たときに、個人で想像する自由を取り上げてしまうことになるから。
だから僕は、絵を見た人が【これはこれこれこういう絵なんですよね?】と聞いてきたときに、誰にでも否定はせず【はい、そうです】と答えています」



まさに、目から鱗でした。


それから私は、
ストーリーものでもすごくわかりやすいことを心がけるようになりました。
そうしたら、なんだか演じてる時も気が楽になったのです。

ひとつの作品に、見た人個人個人で様々なストーリーが生まれたら楽しいだろーなー、と思えるようになりました。

大きな収穫はお客様から「このシーンは~~と思いました!」と言われたときに、自分の表現したかったことじゃなくても「へぇ!そう見えたのか!そんな展開も面白いなぁ~」と楽しく受け止められるようになったり、次の回ではその案をちょっぴり自分の中で意識するようになったり笑

詳細なストーリーを考えるのも勿論たのしいのですが、それは自分のなかだけでの個人設定?裏設定?として考えるようになりました。
見てる人に押し付けはしません、ですが私だけのストーリーとして楽しんでます。

もういっそのこと、
ストーリーとかめんどくせぇよ~という方でも、総合として楽しかったとか音の流れはよかったとか裸が良かったとか、
雰囲気を楽しんでくださったらの御の字!



お互いにそのとき生まれる想/創像力でその場が楽しい。
そんな肩の力抜いた方法も、それはそれでいいんじゃないでしょうか。
演者も観客も、(まわりの迷惑にならないていどにね?)自由が一番。

すとりぷ劇場はどんな劇場よりも一番自由な劇場な訳ですから。