自分が通っていた小学校へ行く途中には坂がありました。
住宅街の中にある、ちょっと急な勾配の坂。
チャリに乗ったオバさんなら、間違いなく降りてチャリを押して登っていくしない。
いえいえ、ガキんちょでも、立ちこぎでもしないと登りきれないような、そんな急な坂でした。


少し前、その坂を数十年ぶりに通るチャンスありました。
で、どんなふうに変わっているかと思えば、これがもうビックリでした。


両脇に建ち並ぶ家々が大きく様変わりしたとか、そういうものではありません。
坂を成す地面の作りが全然違っていたのです。

自分が小学生だった時というのは、いまから三十年ぐらい前。
当時から、その坂はコンクリートで表面を埋め尽くされていました。
しかし、ただコンクリートで固められていただけではありません。
表面に小さな石が無数に埋め込まれていました。
まるで、室内でロック・クライミングのトレーニングをする為の、あの人口的な斜面(壁?)のようでした。


ですから、走って登り降りすることが多かった小学生時代、何度も何度もその坂で転びました。
その度に、まるでプロレスラー?と思われるような出血をみんなでしました。


非常に痛かったけど、でも、今となってはいい思い出です。
ですから、「ああ、これ、これ。このボコボコだよ~」と感慨に耽りたかったのですが、全然違う。


何十年もそのままだったコンクリートは打ち直され、表面が滑らかになっているではないか。

なぜ?
元気いっぱいのガキんちょ時代でも登るのがちょっとしんどく、よくハイウェイ・スターを口ずさみながら登っていた、そんな格別の思い出がある坂だったのに、それなになぜ?


地中に埋まった配管の交換のせい?
あるいは、子どもたちがケガしないため?


だとしたら何で自分がガキのころにやってくれなかったんだ。
ボコボコのない、滑らかな表面な坂とともに、ハイウェイ・スターの思い出が残っていったハズなのに……


MACHINE HEAD 2

ディープ・パープルを初めて耳にしたのは小学2年の時。
アルバムは『ライブ・イン・ジャパン』でした。


では、ディープ・パープルでその次に聴いたのは何だったかというと、『マシン・ヘッド』でしたネ。



SMOKE ON THE














マシン・ヘッドに関していえば、「ガッデ~ム」という印象が残っています。


勘違いしないでください。
マシン・ヘッド、そのアルバム自体は素晴しいアルバムだと思います。
パープルをパープルたらしめた名曲がズラっと並んでいるんですから、駄作なハズありません。


では、なぜガッデ~ムなのかといえば出会い方。
正確にいえば、出会った時期が悪かった。


音楽ファンの方ならもう気づいたと思いますが、よりベターな出会い方とすれば、スタジオ盤→ライブ盤の順でしょう。
スタジオ盤をよ~く聴き込んで、それからライブ盤へと流れ、「おお、こんなふうにアレンジし直して演奏してるのか~」というのが、それがベターな出会い方だと思われます。


しかし、マシン・ヘッドに関していえばまったくの逆。
ライブ盤→スタジオ盤という流れ。
まるで産卵を控えた鮭のように、流れに逆らいまくりです。
ス、スタジオ盤→ライブ盤の流れで聴きたかった~……


ですから、マシン・ヘッドを初めて耳にしたときは、正直、子どもながらに少しヘボいなと思いました。
ライブ盤ではないので当然といえば当然なのですが、なんか熱気が伝わって来なかったからです。

そんな中、自分のなかで健闘していた曲があります。
ライブ盤同様、オープニングを飾るハイウェイ・スターでした。


大したことないと思う方もいるでしょうが、小2のガキんちょにとっては、かなり疾走感のある曲に感じられました。
この曲だけは家族に訴え、何度も何度もかけてもらった記憶があります。

初めて耳にした洋楽はビートルズ。
その次聴いたのはディープ・パープルの『ライブ・イン・ジャパン』でした。


70年代を代表するライブ盤ですが、そのライブ盤が3枚組みのCDになって発売されているのをご存知ですか?


ディープ・パープルの初来日は1972年の8月。
大阪と東京で、3公演行われました。
で、これまで発売されていたライブ盤ですが、それは3公演の一部を切り取ったモノにすぎません。


それだけでも、ライブ盤として充分成り立つのですが、その3公演がもっと耳に出来るとしたらどうですか?
ライブ・イン・ジャパンを名盤と考える、自分と同じようなファンの方にすれば、ちょっと聴いてみたいCDですよね?
その関心を満たすモノですが、コレがあるんですよ~。


発売されているのはイギリス盤だけだと思います。
しかも、CDに収める時間の関係からか、カットした曲が何曲かあります。
しかし、同時代、同時期の、ハイウェイ・スターやスモーク・オン・ザ・ウォーターの別テイクを耳にすることが可能です。


また、これまでのライブ・イン・ジャパン同様、各日、たっぷりと演奏を聴くことが可能です。

それだけでも、ファンとすれば買う価値はあると思われますが、この3枚組みの価値はそれだけではありません。
演奏されたのは70年代の前半。
スタジオ盤のコピーのような演奏などやってられるか~、という時代。
当然、3枚のCDそれぞれにハイウェイ・スターがトップを飾っていたとしても、各日内容が違ってきます。
これまで発売されていたライブ・イン・ジャパンに収録されていたテイクがベスト・テイクだと思われ、新たに聴くことが可能なテイクは、いわば選曲からもれたアオト・テイク。
しかし、それでも演奏水準は高く、聴くに充分値するものばかりだと思われます。


ディープ・パープルのファンで、まだ聴いたことがない方、ぜひ一聴してみてください。


Live In Japan (UK)
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初めて聴いた洋楽はビートルズでした。
では、その次に耳にした洋楽は何だったかというと、何を隠そう“ディープ・パープル”の『ライブ・イン・ジャパン』でした。


LIVE IN JAPAN














ビートルズの次がディープ・パープル。
かなりの飛躍ですね。
しかし、事実なんですよ。


ライブ・イン・ジャパンを初めて耳にしたのは小学2年の時。
もちろん、自分で選んでレコードを購入したわけではありません。
家族が買って家に持ち込んだモノです。


で、初めてディープ・パープルを耳にした時の感想はどうだったかというと、やはりイマイチよく理解できませんでした。
なんたって、小2の頃の話です。
ポップスと類されるビートルズでさえイマイチよく解らなかったんですから、バリバリのハード・ロックと呼べるディープ・パープルが理解できなくとも、無理はないでしょう。


解っていないのは内容だけではありませんでした。
コンサート/ライブというものも、当時はよく理解できていませんでした。
いえ、そういうモノが存在するということでさえ、知りませんでした。
ですから、ライブ・イン・ジャパンを買ってきた家族に、「コンサートってなに?」「ライブってどんなことするの?」と質問した記憶があります。


それぐらい無知、未熟だったのですが、しかし、そのコンサート/ライブ部分は訴えるものがありました。
「よくわからないけど、でも、広~いところで、大勢の大人のひと達の前で楽器を鳴らしてて、なんかゾクゾクするネ」と、そういう感想をもった憶えがあります。

小学生の頃、日本の音楽でよく耳にしていたのはピンクレディー。
その前にインパクトがあったのは、ヘソ出しルックの山本リンダ。
たしか幼稚園ぐらいの時でした。


では、その山本リンダが最初の音楽だったかというと、実はそうではありません。
その前に、原始体験と呼べる曲があります。
その曲は、“尾崎紀世彦”という歌手がうたう、「また逢う日まで」という曲でした。



尾崎紀世彦

山本リンダが歌う姿は、8時だよ!全員集合などで少~し観た憶えがあります。
しかし、その前の尾崎紀世彦はまったくといっていいほど観た記憶がありません。
しかし、しかし、歌は知っているのです。



昔の映像を持ち出して来て、過去の名曲を振り返るという番組が時々あります。
そんな時、また逢う日までが流れてくると、「あ、この曲知ってる」となるのです。
いえいえ、それだけではありません。
歌詞まで憶えていて、一緒に歌えたりするのです。
もう自分でも驚きです。



いま改めて聴くと普通の歌謡曲に類する曲と思えます。
しかし、70年代頭の時代の曲として考えれば、かなりポップでしょう。
洋楽の香すらした曲だったのではないでしょうか?
そんな曲が子守唄がわりに脳裏の憶測に刻まれているなんて、驚き以外のなにものでもありません。
インド人もビックリ、とういところでしょうか?