おはようございますnonです。

本当に本当に辛い時

「生きていたくない」

そう思うことって誰にでもあるのではないでしょうか?

それは、きっと子ども時代も同じだと思います。
でも、それをそのまま親や友達に伝えられる人はどれくらい居るでしょうか?

多くの人は親や友達を傷つけまいと、悲しい想いをさせたり心配をかけまいと
自分の心の中にそっとしまいこんでしまうのではないでしょうか?

そして、そんな風に思う自分を恥じたり責めたりしてしまうのではなかなと思います。
そうなってしまえば、自尊心も何もなくなってしまいます。


本当は

生きていたくないって思うくらい辛いのに、生きているだけでも
その人にとっては必死だったりするんだと思います。


でも「本当は生きていたくない」って思っている自分を否定したい。
そんなことないよと思いたい。
そこで葛藤すれば、より苦しくなる。


そういう人に「自分の人生を生きなさい」と言っても伝わるはずもないと思います。
生きているのが精一杯なのに、その上で、生きるための選択をすることは堪え難いことだったりすると思います。

多くの人は、自分がそう思っているということも認めていないと思います。
口にして「死にたい」と言ったから、生きていたくないと思っていることを認めている訳ではありません。


だからね

まず「生きていたくない」って思っている自分を許す。

そうすると分かると思うんです。

そう思う中でも呼吸していること
そう思う中でも起き上がること
そう思う中でも瞬きしていること

それだけだと思うかもしれないけれど
それだけでも価値がある。



以前の私なら、この考えた方を理解出来ませんでした。

生きていることは当たり前だから。
当たり前過ぎて、そこに価値があることを忘れていました。

でも、ここに気付くと、自分には価値があることに気付けるはずなんです。

何かをしているから価値がある訳でもなく
何かが出来るから価値がある訳でもなく
優しいから価値がある訳でもなく
愛があるから価値がある訳でもない

ただ、存在しているだけで価値がある

条件付けをしているのは自分でしかない




例えば
あまりにもしんどくて起きられなかった時
「ちゃんと起きるんだ。えらいね」って言ってもらえるだけで泣けるくらい嬉しかったりします。

「なんで早く起きないの?」そう言うのは簡単で
社会的な状況を優先すれば、絶対に出てこない言葉かもしれないです。


これはどんな会話でも起こる状況です。

「なんで早く帰ってこないの?」より「帰ってきてくれたんだね。ありがとう」

みたいに。

これだって、当たり前とせず、全てに価値があると感じられたら深く考えることなく自然と出て来る言葉。



当たり前と言う考え方は感謝を見失わせる天才かもしれないなぁと思ったりします。



生きているだけでも価値がある。





本当は生きたくないって思いながらも生きているだけでも、本当はとっても凄いこと。


そのことに心から気付くと、自分に対する見方が変わってくると思います。

些細なことでもお気軽にどうぞ。
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