今日は私がガンを発症したであろう時期に、どんな生活を送っていたか書いていこうと思います。
2年と数か月前に息子が産まれて、最初の1年間は授乳や夜泣きで常にこま切れ睡眠でした。
子どもの離乳食は栄養バランス完璧
なのに、自分のごはんは朝昼兼用で納豆ごはん1膳とか。
特に何ってないけど、とにかくいつも時間に追われていて自分のごはんなんて作る暇がなかった!
気づいたら体重が妊娠前より5kg減っていました。
息子の1歳の誕生日を迎えて3日後。
実のお母さんが末期の膵臓癌であるということがわかりました。
余命半年と言われました。
いくつになってもお母さんの存在というのは大きなもので、泣きながら育児していました。
それでも平日は毎日子どもを支援センターで遊ばせていました。
入院前は、週末家のことを済ませてから旦那に息子を預けて実家へ。
家事や買い物を手伝って夜家へ戻る、というような休日を送っていました。
入院後は毎日お見舞いに行きました。
実家は遠かったけど、病院は私の家から近いところを探したので毎日通うことができました。
平日は息子を2〜3時間公園で遊ばせた後、ベビーカーで20分掛けて病院へ。
帰りも20分掛けて家へ戻りました。
帰ってごはん作って、お風呂入れて、寝かしつけてクタクタ。
息子のことがやっと終わったと思ったら旦那さん帰宅。
ご飯の用意に後片付け。
毎日全てのことが終わったら深夜1時とか2時。
睡眠時間はこま切れで4時間くらいでした。
この頃から何を食べてもおいしく感じなくなりました。
週末は家のことを済ませてから息子を旦那に預け、母が少しでも食べられそうな物を作って病院で過ごしました。
母の病状は日増しに悪化し、それを目の当たりにした日の精神的な疲労は例えようがありません。
肉体的な疲れを超えていました。
最後の1ヶ月は息子を一時保育に預け、母に付き添いました。
お迎えの時間ぎりぎりに走って迎えに行き、帰ってごはん作ってお風呂入れて寝かしつけて旦那さん帰って来て… 朝が来たらまたはじまる、。
たぶん肉体的にも精神的にも限界を超えていたと思います。
出ない力をしぼり出すようにして動いていました。
母は告知から1年で亡くなりました。
息子が1歳になる少し前あたりから、よく風邪を引くようになりました。
1ヶ月に1~2回引いていたから、治ったと思ったらまた引くという感じ。
1歳半まで授乳していたので薬が飲めず、1回風邪を引くとこじらせて長引いていました。
最後の方は(子宮がん検診を受けた月)、風邪から40℃の熱→副鼻腔炎→再び40℃の熱→嘔吐下痢(胃腸炎?)+生理のフルコース、ついでに息子もRSウィルスに感染して全然休めず回復するのに1ヶ月近く掛かりました![]()
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私はガンを発症するまでの数年、こんな生活を送っていました。
心にも体にも疲れと悲しみが溜まりに溜まって、免疫力ゼロだったんじゃないかと思います。
同じ病気の方のブログを読ませていただくと、多くの方が強いストレスや疲労を抱えておられたように思います。
きっとガンになるくらい、みなさん頑張ってこられたのでしょうね。
今は、頑張ってくれた体にお疲れさまとごめんねを言いたいです。