家族5人で沖縄移住!
2015♂2018♂2020♀
Happy理論実践中!HTL一期生ラブラブ

Instagram 

ホームページ

YouTube

online shop


南城市【ジョン万次郎記念碑】へ行ってきました😊



【ジョン万次郎記念碑】は

豊見城市にもあるようですが、

こちらはジョン万次郎が過ごした場所。



そして、南城市の方は

上陸した場所だそうです。





2018年にできた

新しい場所みたいです。


万次郎が指さしてるのは

出身地の土佐清水市だそうです。


ジョン万次郎の物語が

書かれていて

とても興味深いので

要約します。



万次郎は、中ノ浜(高知県土佐清水市)で生まれ、

14歳の時、5人で漁に出た3日後に沖で風に遊い、

漂流しました。


その後、過酷な無人島生活を送り、

143 日後、アメリカの船によって

救助されました。


船長は、5人を安全なハワイへと

辿れて行きました。


圧盛な好奇心と前向きな行動力で

船長に認められた万次郎は、

4人の仲間をハワイに残し、

1人アメリカへ渡る決心をしました。


1843 年、万次郎は、日本人として 

初めてアメリカ本士に上陸しました。


船長は、ジョン・万次郎を我が子のように愛し、

英語、数学、測量、航海術などの教育を 

受けさせました。


万次郎は、捕鯨船の副船長にまでなりました。


1850 年、万次郎は、日本へ帰国するための

資金を得ようと、サクラメントの金山に向かい、

600ドルを稼ぐと仲間のいるハワイへ向かいました。

 


ハワイに到着した万次郎は、

仲間に帰国の決意を伝えました。


また、「琉球の地に小舟にて渡れば便利なり」と考え、

ボートを購入し、糸満市の海から

漁師たちに助けられ上陸。



上陸した万次郎たちは村人たちから、

温かいふかしイモをごちそうされました。


万次郎たちは、親切な村人たちのもてなしに

感謝の気持ちで胸がいっぱいになったといいます。


また、万次郎たちは、持ってきた牛肉や

コーヒーを火に掛け、その場で食して見せました。


万次郎たちの荷物はすべて、没収されました。

取り調べをした役人たちにとっては、

見たことのない品物ばかりでした。


また、役人からご飯とお箸を渡され、

3人とも上手に使いこなしたことから、

日本人と認められました。



万次郎たちは、半年間に及ぶ

囚われの身ではありましたが、

村の引きや毛あしびーに参加するなど、

村人たちと自由に交流することができました。


また、かつて琉球の船が

土佐の人たちに助けられたことがありました。



球国王は、土佐番の人たちへの思返しとして、

万次郎たちへの手厚い保護のほか、

豚、島、魚、泡盛、衣服などを贈りました。



その後、万次郎は 11 年ぶりに

ふるさとの土佐に帰りました。


ペリーが黒船を率いて現れた際、

政府は万次郎を江戸に呼び寄せました。


万次郎は、開国への熱い思いを込めて、

老中らの前でアメリカの事情について話しました。


明治新政時になっても、

普仏戦争の視察として

海外出張を命ぜられたほか、

東京大学の前身「開成学校」の

英語教授に就任するなど、

国際人として活躍しました。







ジョン万次郎は、驚異的なコミュニケーション能力の持ち主で、英語を習得し、うちなーぐちも、半年で理解したそうです。



5人で遭難して、

1人だけ後世まで名前が残ってるということは

本当に偉大な方だったんだなと思いました✨





好奇心と行動力!



これをちゃんとやってると

自分では思いもよらない場所に

到達できることを

ジョン万次郎さんが

教えてくれてる気がします。



自分の興味があることは

自分だけの大切な感性!


行動するとポジティブな流れを

自分で作れる。


人生においてとっても大事なこと!




そして彼はきっと

感謝の気持ちを

いつも忘れなかったんだと思います。




だから、たくさんの方が

彼を助けてくれて

思いもよらない道が

ひらけたんだと思います。





ジョン万次郎さん、勉強になりました😊✨

※子供には退屈だったらしい🤣



 

すぐそばが海で、

海水浴やシュノーケリング

マリンスポーツを楽しむ方で

賑わっていました!


沖縄は梅雨も明けてもう夏本番✨



今年の夏も楽しむぞー‼️




もしよろしければ

 ポチッと押して応援お願いします飛び出すハート

↓↓↓↓↓

ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村