田舎から都会へ ~ 若者の自我の在処 | 北奥のドライバー

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思いついた事をつらつらと書いて行こうと思います。

私はネット上で度々批判的に論じるテーマがあります。その一つが若者の地方から都会への人口流出に関わる問題です。数年前、とある地方活性化のアドバイザー的な仕事をしていると思わしき方がSNS上でこんな事を語っていました。

 

私の記憶の限り要約しますと「多くの地方の経営者や年配者は、身の回りの世話をしてくれる便利屋的な若者を欲しがるばかりで、殆どの場合は十分なお給料や休息を与える気も無いし、若者が返って来たくなる様な魅力的な環境づくりにも熱心でない。にもかかわらず『今時の若者は、ひたすら楽をする事ばかり考えていてケシカラン』といった議論ばかりしている。だから、そういった人達に向かって大きな声で一喝してしまった事が何度もある」といった内容でした。

 

勿論、地方ではどこでも大なり小なり少子高齢化に備えた対策に躍起になっているかと思います。しかし、この手のキャンペーンの常で一部の優秀で高学歴、或いはコネ付きなタイプは地方に帰ってきた際に自治体の中でも県庁所在地のような環境で比較的安定的な仕事をあてがって貰えますが、その他大勢は結構大変な事も多い印象があります。

 

……というか、仕事柄、悲惨な非正規の若者を散々乗せてきた事もある身としては、やはりまだまだ問題があると言わざるを得ないでしょう。盛岡市内でも悲惨な若者が大勢いるのですから、郡部なんぞはもっと悲惨な例もあるかもしれません。

 

例えば「自分は非正規で、給与も激安でお金もない身分だが、正社員の飲み会に付き合わないといけない。そうしないと社内で後々どんな扱いを受けるのか分からず怖い」などと言い、なけなしのお金を払ってタクシーに乗ってくる、そんな若者を何度も乗せてきました。まあ、物的証拠を示せと言われれば困っちゃいますし、ましてや統計的に県内の何%の企業がそんなロクデナシ企業か立証せよ、なんて言われた日には、もうお手上げ状態ですが。

 

さて、そういえば過去にこんな事がありました。数年前、まだ現在に見られるように若者の就職状況が売り手市場に転じる前で、またブラック企業の存在がクローズアップされ始めた頃です。某役所で働いているという青年を乗せたのですが、まさに彼は都会から帰って来て公務員の仕事に就くことが出来た人でした。とはいえ、公務員の仕事も中々にハードなようで、若干寝不足状態で疲れた顔をしていたように記憶しています。

 

どんな会話をしていたのか大半は忘れましたが、何かの拍子で岩手県の貧困や格差問題に話が移った時です。彼はひたすら「岩手は良い県だし優良な就職先も多数ある」と主張して譲りませんでした。

 

若者が都会に流出するのは漠然とした都会へのブランドイメージに引きずられてそうしているだけで、これといった論理的根拠のあるものではない。

 

……と言い張っていたのです。そして、こちらの話には一切耳を貸さず、ひたすら早口でまくし立てる様に独演会じみた主張を始めました。ちなみに彼自身は「大学を卒業した後に東京の会社に就職して何年か働き、こちらの役所に転職してきたが、別に何の障害も苦労も無かった。岩手、特に盛岡にまともな職場が無く就職難だというのは誤解だ」とも主張していました。

 

本来、客商売にあってはならない事なのですが、私には彼の物言いが酷く現実から目を背けた不誠実なものに聞きこえてしまい、ついカッとなって大きな声で反論してしまった事がありました。彼は目を見開いて顔面蒼白と言った体になり絶句していました。まさかタクシードライバーからいきなり大きな声で説教を食らう身になるとは思いもよらなかったのでしょう。

 

しかし、今思えば本当に申し訳ない事をしてしまったものだと後悔しています。何故なら、まだ若い彼をそのような思想に誘導したのは別の所にいる中年や年寄りたちでしょう。本来責められるべきはそちらの方なのです。それに人の体は一つしかなく、一人の役人が力を行使できる職分の範囲には限界があります。その中で彼は精いっぱい戦っていたのだと思います。

 

正直なところ、あの時仮に役所から会社に抗議の電話でも入った時には然るべき処分を受ける覚悟でもありました。客商売に非ざる事をしてしまったのだから当然です。結局何も起こらず事なきを得た訳ですが、あの生真面目そうな青年は今も頑張っているのでしょうか。その某役所の前を通る度に後悔の念と共に彼の事を思い出します。

 

さて、しかしながら、です。あの役人の青年が言った『若者の流出の理由は無根拠な都会信仰』というのも、全く故の無い戯事とも思えません。確かに彼の言う通り、これといった根拠もない都会信仰から流出するケースも少なからずあるのでは。「役人の彼」があれほど自信満々に語ったのには理由がある筈です。それなりにデータを集めて繰り返し検証してきた事なのでしょうから。であるとするならば、若者が定着しない真の理由とは何でしょうか。ただ「単なる若者の勘違いだ」と斬って捨てて、そのまま捨て置くには少々気がかりなテーマにも感じます。

 

上記の出来事があってから暫く後、私は「若者、特に女の子が都市化した環境へと容易に流出するのにはやはり理由がある筈だ。物的証拠を示すのは難しいものの、やはり地方特有の若者に対する抑圧的環境の問題なんかがあるのでは……」と漠然とした書き込みをとあるネットの場でしてみたところ、ある方からこんな返信が返ってきました。

 

記憶が曖昧ですが、返信の意味するところを書きますと「近代におけるメディアの発達で昔は映画やテレビや小説、最近はネットで都会の情報に触れる機会が多くなる。そうすると『体は地方に置きつつも意識は都会人』という人間が生まれてくる。その都会人としての自我を補完する為に彼(彼女)らは都会に行くのだ。彼らにとっては地方から都会に旅立つのではなく、本来あるべき自分の居場所と思える都会に里帰りするようなものなのだ」といった内容です。これは目から鱗でした。

 

色々なメディア越しに映し出される華やかで面倒な慣習も因習も無く、自由で文化的(に見える)都会の姿。若者がそれらの情報に触れる内に「自分はたまたま運命の悪戯で田舎に生まれてしまったが、本来ならばこういった自由な環境に生まれて然るべき人間だった筈だ」という思いを募らせる者が出てきたとしても不思議ではありません。

 

逆を返せば地方というものは、この若者が抱えがちな『近代的自我』の問題を正面から受け止めきれずに今に至っているのではないでしょうか。勿論、都会には地方からは考えられないドライで厳しい競争が沢山あるのだと思います。しかし、それでも尚、人々を引き寄せるのが都会。理屈を超えた吸引力を持つのが都会というものです。

 

ここら辺の問題は極めて重要だと思われます。ここを無視して「データ上は都会と同じ環境だ」と主張して見せた所で、若者の流出に歯止めはかからぬでしょう。