ヒーリングウェーブには、愛の音はあるが、感謝の音はない。
ということは、感謝というのは、受動的な波動ではないということだ。
ヒーリングウェーブの音は、受動的という意味では、他力のカテゴリーに入る。
スピリチュアルでは、愛と感謝が大事だが、これは愛と感謝が根源的な同じ波動の両側面だからだろう。
神が与える万物を育み生かすエネルギーを、生かされている人間が受け取り、感謝のエネルギーを返す。
愛のエネルギーは万物の間を循環する。
こういう説明だ。
このエネルギーの循環の中に入った人は、幸せになる。
自転車に乗れる人は遠くに行けるというようなことと同じだ。
自転車に乗れるようになるには、実際に乗ってみるしかない。
自転車とは何か、とか、自転車に乗るとはどういうことかを研究することは、よりよい自転車を設計するためには重要だが、とりあえず、歩かないで早く目的地につくには、自転車に乗ることが必要だ。
この宇宙の愛のエネルギーの流れに乗る時の、ちょうど自転車に乗ることに当たるのが、感謝するということだ。
感謝できるようになるには、宇宙から与えられている愛のエネルギー・・・私を存在せしめ、私を育て、生かしてくれる様々な自然の恵みや、人々の思いやりとか愛情・・をちゃんと思いのエネルギーとして「受け取る」ことができることが必要だ。
自分に与えられた恵みを、自分に向けられた「あり難い」思いのエネルギーと理解して受け取ることができると、感謝という思いのエネルギーが自動生成されるような気がする。
簿記で、借方に100と書き込まれると、借方に100が出てくるようなものだ。そのような決まりになっている。
この愛と感謝のエネルギーは、思考の次元で作られるものではない。
もっと高次の次元から流れてくるものだ。
愛を思考の努力で作り出せないのと同じく、感謝も思考の努力で作り出せない。
それは宇宙のエネルギーの物理法則なのだろう。
しかし、借方に100と書き込むのは、思考のレベルでできる話だ。
ただ受け取るのではなく、「ありがとう」と感謝を持って受け取ることができるようになったら、愛のエネルギーの循環が始まるのではないだろうか。
ヒーリングウェーブの音を使えば、苦しんでいる人に、平和な気持ちや、愛の感覚を味わってもらうことはできる。
しかし、ヒーリングウェーブでも、苦しんでいる人に「あり難い」という思考を与えることはできない。
そこは、思考の世界なので、自分で掴んでもらうしかない。
続く


