「読ませる作品」と「考えさせる作品」と「感じさせる作品」
アトリエ インカーブ の代表者が書いた『観点変更』という本を読んだ。
この場所は障害を持った作家が創作活動を続ける所で、その作品、作家達は海外でも高い評価を得て、日本の美術館でも展覧会を開催するまでになっている。
http://incurve.jp/news.html
但し、今回のブログは同アトリエの紹介ではなく、その著作に、とてもアートの見方につて、おもしろい記述があったので、その部分を抜粋したい。
(以下、抜粋編集)
キリスト教の宗教美術や古代エジプト美術は鑑賞者に宗教を信仰し、神話を学ぶように促した。アーティストは鑑賞者に「読むこと」を要求し、鑑賞者はありったけの知力を使ってストーリーを組み立てなければならない。漫然と対峙しても作品からの応答はない。
20世紀に入り、「読ませる作品」以外に「考えさせる作品」がアメリカで生まれた。現代美術と言われる作品だ。ジャクソン・ポロックの作品にはストーリーがない。また、マルセル・デュシャンが1917年、NYでの展示会において、市販されている便器に「泉」というタイトルをつけて出品した。この作品は、それまでの芸術の価値概念に対して「なにをもって芸術とすべきか」という問題定義を行った。芸術を哲学として昇華させる「考えさせる作品」となった。鑑賞者は腕を組み、眉をひそめ、口を真一文字にして考えただろう。そして、疲れた。
学ぶことを促した「読ませる作品」から哲学的な「考える作品」、次はどこへ行くのだろうか?私は「感じさせる作品」に移行していくと考えている。「感じさせる」と言っても人体センサーなどの小手先の手法を使って「感じさせる」ものではない。「読ませる」ことも「考えさせる」ことも不可能な作品。それが本当に「感じさせる作品」である。
以上
(最後に私の感想)
アートを分野ではなく、見方で分類したよく整理された考え方で共感した。
しかし、次が「感じさせる作品」にムーブメントが行くとは考えにくい。
これからは、「読ませる」「考えさせる」「感じる」、その他も含めてあらゆる作品が乱立してくると思うからです。
◎△□◇ism という芸術の潮流が生まれない時代になっている。
次はというか、過去に「感じさせる作品」の潮流は既にあったと思います。
アールブリュット(アウトサイダーアート)や新表現主義と言われるプリミティブな作品群(バスキアとかキースへリングとか)。
もうすでに「感じさせる作品」の時代も終わり、様々なアートが並列する時代が今だと思う。
だから「現代アートって何?」と聞かれて、一言では言えなくて、「わからな~い」と多くの人が離れていく結果になっていると思う。
以上
この場所は障害を持った作家が創作活動を続ける所で、その作品、作家達は海外でも高い評価を得て、日本の美術館でも展覧会を開催するまでになっている。
http://incurve.jp/news.html
但し、今回のブログは同アトリエの紹介ではなく、その著作に、とてもアートの見方につて、おもしろい記述があったので、その部分を抜粋したい。
(以下、抜粋編集)
キリスト教の宗教美術や古代エジプト美術は鑑賞者に宗教を信仰し、神話を学ぶように促した。アーティストは鑑賞者に「読むこと」を要求し、鑑賞者はありったけの知力を使ってストーリーを組み立てなければならない。漫然と対峙しても作品からの応答はない。
20世紀に入り、「読ませる作品」以外に「考えさせる作品」がアメリカで生まれた。現代美術と言われる作品だ。ジャクソン・ポロックの作品にはストーリーがない。また、マルセル・デュシャンが1917年、NYでの展示会において、市販されている便器に「泉」というタイトルをつけて出品した。この作品は、それまでの芸術の価値概念に対して「なにをもって芸術とすべきか」という問題定義を行った。芸術を哲学として昇華させる「考えさせる作品」となった。鑑賞者は腕を組み、眉をひそめ、口を真一文字にして考えただろう。そして、疲れた。
学ぶことを促した「読ませる作品」から哲学的な「考える作品」、次はどこへ行くのだろうか?私は「感じさせる作品」に移行していくと考えている。「感じさせる」と言っても人体センサーなどの小手先の手法を使って「感じさせる」ものではない。「読ませる」ことも「考えさせる」ことも不可能な作品。それが本当に「感じさせる作品」である。
以上
(最後に私の感想)
アートを分野ではなく、見方で分類したよく整理された考え方で共感した。
しかし、次が「感じさせる作品」にムーブメントが行くとは考えにくい。
これからは、「読ませる」「考えさせる」「感じる」、その他も含めてあらゆる作品が乱立してくると思うからです。
◎△□◇ism という芸術の潮流が生まれない時代になっている。
次はというか、過去に「感じさせる作品」の潮流は既にあったと思います。
アールブリュット(アウトサイダーアート)や新表現主義と言われるプリミティブな作品群(バスキアとかキースへリングとか)。
もうすでに「感じさせる作品」の時代も終わり、様々なアートが並列する時代が今だと思う。
だから「現代アートって何?」と聞かれて、一言では言えなくて、「わからな~い」と多くの人が離れていく結果になっていると思う。
以上