BSで放送していた「ギルバート・グレイプ」を観た。

レオナルド・ディカプリオ扮する知的障害の役が話題になった映画でもある。






ギルバート(ジョニー・デップ)は障害者の弟を持ち、父親の自殺後ショックで引きこもる母親と姉妹の生活を支えている。

そんな家族の物語。



ムスコくんが生まれる以前にも一度観たことがある。

その時には感じなかった、思いもしなかったことがあった。



それはそうだ。

障害者と過ごす生活は実体験だ。



障害を題材にした映画、舞台は多々あれど、そのどれもが障害者のいる家族の苦労や悲惨さ、反対に障害の苦労を超える愛のようなもので素晴らしさをを伝えてくる。



違う。

そうじゃない。

それもそうだけどそこじゃないんだよ。



この映画で今回わたしが1番ぐぉーっときた場面。



日々働きながら障害のある弟の生活全般を見ているギルバートがある時、そんな生活に爆発し弟を殴る場面。



誰よりも弟のそばに居て、最も弟を理解している。愛してもいる。

愛しているがゆえに、どうしようもなくなる時がある。

どうしようもなく、どうでもよくなる時がある。

誰が悪いわけでもない。

どうにもならない現実をわかっちゃいる。

わかっちゃいるけど、時にたまらなくなる。



もしも障害が無かったら?

もしもムスコくんがこうでなかったら?

何度も何度も考えてきたことだ。



ぐるぐると答えのないことを繰り返し考えてたどり着くのは、これがムスコくんだってこと。

もしもはない。

こうだったらはない。



映画の最後のセリフ。

「僕らはどこに行くのも自由だ」



障害という囲いを作って世界を狭めてるのは自分のようだ。



映画のようにサラッとはいかないけれど、いくわけないけれど、どうしようもない想いを抱えながら、時に笑い飛ばしながら、それでも人生は続いていくよ。