このブログは特別支援学校高等部を卒業し、社会人2年生としてB型作業所で働き始めたムスコくんのこれまでのこと、母親の葛藤、現在ぶち当たっている問題などを思いつくまま書いています。

生まれてから順を追って書いている中で、突然生々しいまさに今現在の出来事なども織り交ぜて書いていますので、小さなころの出来事には題名に番号を振っています。




「可哀想と言われたくないのだ。」



先日障害児を持つ先輩ママさんと初めてお話しをさせてもらう機会があった。

障害者が働くということ、これからの心得について教えてもらいたくていそいそと出掛けた。





なんせ殻に閉じこもり、周りを敵とみなし、かなりの一匹狼ぶりでここまで来てしまったわたしは、障害児の母としてはたぶん失格。



情報収集、横のつながり、公的機関とのつながり、、、 

健常児を育てるよりもきっともっとずっと必要なそういったことを全くしてこなかったのだ。



自分で自分を悲劇のなんとかにして「誰も助けてくれない」と嘆いていても誰も手を差し伸べてはくれない。

当の昔から気付いていたことなのにしてこなかった。



障害者が得られる補助なども自分で情報を取りにいかなければ、自動で目の前に来る回転寿司パターンではない。



そんなことを教えてもらいながらも、先輩ママさんとの話の中で1番心に残ったのはその部分ではなかった。



「私たちって苦労はしてるけど不幸ではないよね」


この言葉に深く頷いた。





そうなのだ。

育てるのに大変な部分が多くあったのは事実。だけど可哀想じゃない。



だからだ。

わたしが助けて欲しいと声を上げられなかったのは。可哀想だなんて絶対に思われたくなかった。



こんなことがあった。

保育園での初めての運動会が終わりほっとするのも束の間、次の難関「お遊戯会」があるという。



あれほど怯えながら参観した運動会が想像をはるかに超える完成度だったため、学芸会はかなりのリラックスモードで臨んだ。



平日昼間なので参観はほぼほぼ母親のみ。

わたしもひとりで行った。



子供のクラスの番になるとステージ前から13列の観覧席はそのクラスの親と交代するシステム。



前の列に移動して待機、ムスコくんのクラスの番になった。



ムスコくん、何にもしない。

お遊戯どころかステージに寝そべっている





ママさん同士の「誰それくんが上手だの、誰それちゃんが可愛いだの」の歓談の中に入れない。

ほかのママさんはムスコくんのステージでの姿を見て言葉が無い。

いや、触れてはいけないけない。

そんな感じだった。



その目はまさに「可哀想」

そう言っているかのようだった。



確認したわけではない。

わたしの勝手な思い込みかもしれない。

悲観しすぎなのかもしれない。



でもそれ以降、保育園の子供繋がりのママさんは1人も居なくなった。



わたしも可哀想だと思われたくなくて1人を貫いた。意地もあった。



ムスコくんは可愛い。

でも、わたしにこんな想いをさせるムスコくんを憎む気持ちもあったこともたしか。



なぜわたしがこんなみじめな想いをさせられないといけないの?



そんな風に考える自分も、周りからダメ母のレッテルを貼られることばかりを気にしている自分も大嫌いだった。




(イラストmiho tamaki)


ムスコくんブログのイラストを描いてくれてるmiho tamakiさんのブログはこちらからどうぞ。

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