大自然を見てホッとするのも自由を感じられるから。もしかしたら自然界にも制限はあるのかもしれないけど。。
自由の意味を調べてみたら
"他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意思や本性に従っていることをいう。"
らしい。
つまり
他者からの制限がなく
自らの意思で動くことができたら
"自由"
という状況になる。
でも、他者からの制限ってなんだろう?
誰かにこうしなさい
ああしなさいと言われても
自分が違うと思えば
やらなければいい。
そうだから
不自由な正体は
必ずしも
他者からのものだけではない。
不自由だと思ってる原因は
他者からの制限と思っているものの大半は
実は
"自分の思い込み"
であることが多い。
選べる道は無限にある。選ばないのは自分だ。
思い込みが作られるのは
小さい頃周りの人に言われて
傷ついたことや
ショックだったこと
不快だったことで
作られてることが多い。
それを思うと
その出来事やその時の誰かが
悪いみたいになりそうで
認められなかったり
無理矢理ポジティブに持って行こうとして
拗らせてしまうことがある。
でも
そういう出来事って
悪気があって起こったことじゃないことが
ほとんど。
恐れゆえ
依存ゆえ
愛情ゆえ
そんな悪意とは反対にあるようなことが
理由だったりする。
完全に悪意なら
きっと跳ね除けられる。
でもそうじゃないから
ややこしくなって
制限をかけてしまう。
傷つかないように
傷つけないように。
でもそんな思い込みで生きる人生は
やっぱり苦しい。
こうしなければいけない
みたいなものが増えれば増えるほど
心は重たくなって
沈んでいく経験は誰にでもあると思う。
それが世の中の常識みたいな
風潮が特に日本にはある。
だけど心が重たくなるようなことが
本当に必要なのか、、?
どんなに正しいということがあったとして
それゆえ苦しむことがあるなら
そんなことを
選ぶ必要なんてない。
"自由"
が欲しいと思ってた。
誰かや何かから縛られない
自分がやりたい時にやれる自由。
だけどそれは結局
外側の考えだった。
誰かや何かは
私を縛ってなんかいない。
本当に欲しかった"自由"というものは
自分が自分で作り上げた檻を開いて
"どんな道でも選べる心"
だった。
その檻はいくつもあるけど
その場所にたどり着いて
一つ一つ鍵を開けて
世界を広げてゆくこと。
そうやって心を軽くしていくこと。
そしてそれを
体感して伝えて行きたいと思う。
Tomomi.