文字とは怖いものである。無論言葉もである。だからためらって書かないで終わる出来事もある。そうしたことは誰でも経験したことのあることだと思う。
  このところ続く訃報や入院話は書くことをためらう部類に入る話題だ。考えてみると知人たちのみに襲いかかっている不幸は、確かにない方がいい出来事ばかりなのだが、同じような視線を自分に返し、いわば鏡のように見つめてみれば、3つの科を受診している身なのであり、決して親しいにしろ他人のみの案じている場合ではないのだけれど、それでも友人たちのことを心配してしまう。決して余裕などではないけれど、そんな感情がなくなったら最後、自分は壊れてしまうに違いない。
  だから人さまに優しくしてやろうとか、自然を愛してなどとも思わなくて、逆にもっとわがまま放題して、やな老人を目指そうなどとも考えるから人間はややこしい。
  稀勢の里を不運の力士として優勝のできない関取として応援するか、それとも何が何でも優勝させて、横綱まで上り詰めてくれと応援するかにたとえてもいいかもしれない。どうやら自分は前者のようだ。どこかにレモンを仕掛けずにはいられない。しかし、いつだって銀座にある洋書屋は無事なのだ。無事なのは努力を超えた何者かに支えられているのだと思う。その何者かにいつだって勝てない。