皆様こんばんわ、イギアでございます。

蒸し暑いくせにあまりこちらの方では雨が降らず、空梅雨の様相を呈しております。お元気でしょうか。

 

さて、母の最初の月命日も過ぎ、様々な手続きも一段落して参りました。

必要な書類は大体用意できたし、後は銀行口座の相続書類を記入するだけです。そして後返しの手配をして、四十九日が済んだら納骨、そこでやっと終わり、かな。

備忘録として、やった事を書いておきます。

・葬儀の手配

・生命保険会社への連絡

・社会保険事務所への連絡

・行政書士事務所との話

・市役所で戸籍謄本(一生分)、住民票(除票記載)の取得

・健康保険証の返却及び葬祭費の申請

・相続人の印鑑証明書取得

・金融機関への相続手続きの依頼

・四十九日の為の寺への依頼と本位牌作成

・香典返し(後返し)の手配

・生命保険受け取り人の変更

・手元供養の為のミニ骨壺と写真立ての注文

以上です。これは母だからまだ少ない。光熱費等を払ってたり、クレジットなんかがあったりしたら、もっと手続きが増えるんだよな~。

 

さて、母のことはさておき。

今日…時間的にはもう昨日ですが、O宮まで、ダーリンの妹さんに会いに行って参りました爆  笑

やはり遠いので、珍しく二人で電車でお出かけニコニコ

今日はそこまで暑くもなく、お天気は微妙な感じでしたが、雨にも降られず、悪くない感じ。

この日の為に、再びパーマネントをかけましたよ。本当は春頃に行く予定だったんだけどね。

・・・いやはや、O宮駅ってでけぇなw うちの地元の駅は小さいので、吃驚ですよ。田舎モンってやぁねぇw

んで、無事合流できました。小柄ですが、元気な良く喋るオバサマでございました。

駅前のビルでグリルなど頂きまして。私としては、ダーリンの昔の話とか聞けて楽しかったですよ。堅苦しくなくて、すごくはっきりしたサバサバした方でね。ま、私もあんまり気楽に話せるタイプではないから、逆に良く喋ってくれてありがたかったです。

私なんて裏表も駆け引きも遠慮も気兼ねもしないから、素直に明け透けに暴露しちゃうんで、嘘偽りなく楽しんできてしまいました。

実際の話、妹としては、いきなりお付き合いしてるお姉ちゃんがいるなんて言われたから、兄が変な女に騙されてて、金目当てで貢がされてるかも知れない、とか心配してたんじゃないかと思うのですよ。

だから、急に会いたいなんて言ってきたんだろうなぁって。

そら、普通三十も離れた相手と付き合ってるなんて言ったら、そう思うよなぁキョロキョロ

でも、実際会ってみたら、兄が幸せそうで安心したって言ってくれました。もっとケバケバしい変な女かもしれないとか思ってたらしいんですね。凄く大人で落ち着いてる、なんて。・・・いや、五十過ぎて落ち着いてなかったら、それは別の意味でヤベーだろ、なんて笑い泣き 自分では寧ろ子供っぽいと思ってるんだけどなぁ。

ついでに、もう一人の妹にも連絡したみたいで、そちらも喜んでいたとのこと。兄ちゃんは昔からモテるから、なんて言ってたらしい。何だか、兄妹仲が良さそうで、微笑ましかったです。

取り敢えず合格OK、ということでいいのかなてへぺろ

私としては、二人で電車に乗ってお出かけなんて滅多にないから、それだけで楽しかったけどな。ただ、ダーリンは公共交通機関に慣れてないから、時間は短かったけど疲れちゃったみたいね。

戻ってきてから、私の地元でパスタを食べて帰りました。

今日は一日がかりのお出かけで、私も疲れました。だから、帰ってきてすぐに横になって仮眠。んで、変な時間に目が覚めちゃったもんだから、こうして覚え書きを書いている訳です。

楽しかったな。また食事でもしようって言ってもらえて嬉しかった。今度は泊まりでおいで、なんてさ。拒絶しないでくれて、ありがとうございます。

 

そんな訳で、一つずつ、消化していっている毎日です。

もうそろそろ梅雨明けかな~。どうせ暑くなるので、皆様もくれぐれもご自愛下さいませ。

それではまたお会いしましょう。

皆様こんばんわ、イギアでございます。

葬儀も終わり、母が亡くなって十日が過ぎました。

まだやることは色々ありますが、取り急ぎやらねばならないことは終わった…かな?

慌ただしい日々は一段落し、やっと仕事にも行くようになり、ゆっくりと日常が戻って参りました。

が、最早その日常の中に母がいない・・・それが、寂しい。悲しいよりも、寂しさが勝る感じですね。

父も私も割とリアリストな方なので、臨終に際して「お母さん、死なないで!」「頑張って!」なんて言うドラマは全くなかったのですけどね。

泣き喚くというよりは、静かに語りかけ続けるような、穏やかな最期でした。まぁ、クールと言われればそうかもしれません。

そうなんだけど…やっぱり父がちょっと参ってるのかな、と心配です。ふとしたときに、いないんだよなぁ、みたいに呟いているのですよ。

それはともかく、告別式の時、棺に花を入れる瞬間には流石に涙が溢れました。私は人前ではあまり泣く方ではないのですが。(子供の時にはメッチャ泣き虫でしたが)

・・・が!

涙でコンタクトが片方落ちる…!!

涙、引っ込みました笑い泣き 拾いましたが、最早出棺の時刻。私は花を持っていたので、付けに行くこともできず、そのまま火葬場へ。

何をやってるんだかガーン

 

そんなこともありましたが、最後に一つ。

従姉に言われ、骨壺の中に、母の結婚指輪を入れてあげました。

父は勿体ないとかなんとか言っておりましたが、私が使う訳でもなく、まして売るような代物でもありますまい。

それなら、(多分)大好きだった父の妻として、お墓の中に持って行って欲しいと私は思いました。

あとは、四十九日だけですね。

他にも色々ありますが、それはまた後日。

お陰様で、私にはさほどダメージはないので、大丈夫です。自分では、できる限りの事はしたつもりだからね。後悔はないんよ。

それではまた次回お目にかかりましょう。

 

皆様こんばんわ、イギアでございます。
本日は亡き母の通夜でございます。
私は一人で葬儀会場にお泊まりしております。
いや、誰もいないんだよね、本当の意味で「通夜」をしてくれる人が。別にいいんだろうけどさ、いなくても。
でも、これが本当に最後の夜だから、せめて夜通しは無理でも一緒いてあげたいのね。
それにしても、こんな時に父がやらかしてくれまして笑い泣き

私の従兄弟への連絡時に、時間を遅く伝えてしまったのですガーン しかも二時間えーん

来ねえ来ねえとイライラしてたのに結局自分の所為だったという…。

せっかく来たのに「もう終わりました」と言われた従姉妹たちの心情たるや…。

まったく、幾ら気が動転してる時だったとは言えねぇ。

やれやれでございますよ。まあ面白いと言えばそうだけどねえー


さて、親しい人や親族が亡くなる時などに、何か不思議な出来事がある、というお話を聞いたことはございますでしょうか?

ホントかよ、と私は思っていたのですよ。仮になにかあっても、私には多分分からないだろうな、と。

でもね、あったのですよ、一つだけ。

殆ど寝たきりの母が、何かあったら呼べるように、とタッチ式のチャイムをベッドに着けていたのです。

そして、亡くなった日の昼過ぎ。葬儀屋さんとの打ち合わせも終わり、父と台所で今後を打ち合わせていたら。

・・・鳴ったのですよ、ピンポーン、ピンポーン音譜と。

当然うちは父と二人だけで、他には誰もいませんでした。

一瞬ビックリしたけど、すぐに母が呼んでいるのだな、と思いました。

何か伝え忘れた事でもあったのかなぁ。それとも、ありがとうと言いたかったのかな。都合の良い解釈かしら?

錯誤認識でもいい、私はそう思っています。

さて、さり気なくお菓子も買い込んでしまったことだし、少しだけ夜更かしして、母を送ろうと思います。

皆様、何卒ご自愛下さいませ。


変化は急だった。

ある日突然、喉が痛くて食事どころか水も喉を通らなくなった。

それでも、何とかヨーグルトやゼリーを飲ませはするものの、食欲そのものが減退しているようだ。

幾ら丈夫な歯があっても、噛む力も飲み下す力も、とうに失われていたのだ。

とうとう大量に処方されていた薬も中止になる。

平行して「お腹が痛い」という症状も再発していた。検査も治療もできず、痛み止めすら飲ませられなくては、最早手の施し様がない。

それが在宅介護、自宅看取りの限界だ。

ヨーグルトを二口、三口。掠れ弱った声で「美味しい」と呟くのに、涙が出そうになった。

それが、最後の食事になった。

土曜日の早朝、殆ど聞き取れないくらい弱った声で、それでもトイレに行きたいと言う。父と娘は母に声をかけ続け、何とかポータブルトイレに座らせるが、その途端痛い痛いと叫び出す。

何がどう痛いのか分からないが、慌ててベッドに戻す。痛がる母の姿が余りに痛ましい。

それからは起き上がる事もできなくなり、何も口にせぬまま、ずっと気持ちが悪いと訴え続ける。

「助けて」「苦しい」「早く楽になりたい」そんな言葉が母の口から零れてくる。気丈な母の、滅多に見せない泣き言だった。

御免ね、と詫びながら娘には母の痩せ衰えた体をさすってやる事しかできなかった。

土曜の夜には、既に意識が混濁し始めていたのだろうか。呼びかけに対する反応は鈍く、言葉は不明瞭になった。何をしたいのか、唯一動かせる右腕をゆっくり前に後ろに上に下に往復させているばかりだった。

日曜の朝、娘が母の顔を見に行くと、仮眠していた二、三時間の間にガラリと母の様子が変わっていた。

既に言葉は出ない。ただ手を握ると弱々しく握り返すだけ。呼びかければ目を開けるが、恐らく見えてはいまい。

ゆっくりと、リズムを刻むように右手で拍子を取っている。娘は動きを邪魔しないようにその手を握ってやるだけ。

心の中で思い浮かぶことを取り留めも無く母に語りかける。感謝の言葉もねぎらいの言葉も既に伝えた。後は小さな後悔と古い思い出。囁く声が、胸の裡の在りし日の母に届けと。

夜になる頃には呼吸がすっかり荒くなっていた。痛いとも苦しいとも伝えられないまま、母は孤独に戦っていた。

良く頑張ったよ、だからもういいんだよ、ありがとう。ずっとみんな傍にいるから。

薄暗い部屋で母の手を握りながら心の中でずっと叫んでいた。

夜明け頃、起き出した父と付き添いを交代し、ベッドに倒れてから一時間もしないうちに、ナースコールで呼び出される。

早朝五時半、慌てて階下に降りていくと、目を閉じた母の息はすっかり細く弱くなっていた。

父と娘は最早言葉もなく、ただ手を握って母の姿を見つめていた。

気づかぬぐらいにそっと、胸が動くのをやめ、娘の指先に脈動が伝わらなくなっていた。

六月十日五時五十分 母、永眠

 

ありがとう、お母さん。

皆様こんにちわ、イギアでございます。

日中は大分ムシムシしてきて、梅雨が近づいて来ましたね。体調にはご注意下さい。

 

さて、またまた介護の話です。

もうね、反省しきりです。やっぱり私は優しくないんだなぁ…とね。

いえね、私だって分かってるんですよ。父が色々と頑張ってやってくれているからこそ、私がそれなりに仕事に行く事ができてるって。

でもねぇ、ついつい余裕がなくなって、父への当たりがキツくなってしまうんですよ。

もっと穏やかに優しく接してあげなきゃ、とは思っても、そうできない自分が悲しいです。

本当に優しい人なら、こんな事ないんだろうなぁって。

そして、母の病状ですが…。

本当にもう長くないようです。保って数週間というところか?と訪問看護の先生が先ほどお話しして行きました。

在宅看取りの道を選んだので、今母がどんな状態かというのは、外からの状態で推察するしかない訳ですが。

それでも、ここ数日でガクッと状態が悪くなりまして。

殆ど話さなくなりましたし、話しても殆ど聞き取れない。食事量も減ってしまったし。

そして、酸素濃度がグッと減って80あるかないの状態。とうとう酸素マスクを着けるようになってしまいました。

それにお尻の床ずれ…。毎日薬を張り替えてますが、一向に良くなった感じがしないのが、切ないです。

マットレスもエアマットレスに変えてみたり。最近は色んな便利な機能があるんだねぇ。

寝たきりでも寝返りっぽい事ができるように、空気でマットレスを変形させたりできるんだよ。

あと、尿道カテーテルを入れてるんですが、そこの周辺にばい菌が入ったらしくて、腫れちゃってさ。もう、本当に痛ましい。

「お尻が痛い」「お腹が痛い」って言われても何もできなくて、申し訳ない。先生が処方してくれた痛み止めを飲んでもらう以外に、大したこともできないのです。

後は、手足がむくまないように毎日マッサージしてあげるとか、体の体勢を入れ替えてあげるぐらいです。

流石に、トイレはポータブルになりました。右足も力が入らなくなって、父も支えきれなくなっちゃってもんで。

まぁ、介護って結局腰への負担がものすごいので、私の腰がオーバーヒートしちゃって、今日もお休みした訳ですが、休んでてもゆっくり休養できる訳でもない。

夜中も起こされるし、自分自身をどうしようか、という感じですね。

でもまぁ、今更どっかの施設探して移動させて、なんてさせるのも申し訳ないので、お家でゆっくりして、できるだけ安らかに逝って欲しいと思うのです。

たったの2~3ヶ月の事だし、少しでも母のためになるようにしていきたいですね。

 

それとは全然無関係ですが、今度ダーリンの妹さんと会う事になりました爆  笑

向こうから会いに来て~というメッセージを頂いたので、ダーリンに連絡をお願いしました。何だか知らないけど、凄く楽しみにしてくれているようです。

そんで、妹と仲が良さそうなので、ちょっと微笑ましく思えたり。

私も楽しみです。電車か車か…。遠出するような場合でもないけど、逆に今のうちに行っておかないと暫く行けなくなりそうだしね。

こうして、誰もが通る道を、私も一つずつ辿っている訳です。色々と大変な事もあるけど、だからこそ、人生は楽しいですね。

それでは、またお会いしましょう。皆様もご自愛下さいませ。

皆様こんばんわ、イギアでございます。

さてさて、腰が壊れそう、且つ頭が痛いよ。もう頭痛薬とか飲むだけ無駄やねん。

昨日は腰が痛くて早退した筈なのですが…家に着いた途端、母のトイレ。昼飯を食おうとしたら訪問診療、終わったらパジャマの交換、やれやれやっと…と思ったら何やら母が話したい事があるとか…。

まぁ、今後の事とかね。相続について司法書士やら行政書士に頼むと手数料が結構かかるとか。こんなに立派に頑丈な家を建ててくれた工務店さんに感謝してるとか。そんな話。

遺言かよ。止めてくれよ。そんな愁嘆場を演じる趣味は、私にはない。

なもんで、至って普通に「大丈夫よ~」なんて返す。

こんなことならちょっと無理してでも仕事した方が良かったんじゃないか、とか笑い泣き

確かにね、ここ数日右の脇腹が痛いらしくて、起き上がることも出来ない状態で。だから弱気になっちゃってるんだろうなぁ。

歯は丈夫なんで、ご飯は食べられるんだけど、起き上がれないから上手く食べられないのよね。だからスプーンにすくってやって、右手に持たせて…という些かまだるっこしい食べ方をしておりました。

最早動かせるのは、殆ど右手のみですね。

それでも、「緩和ケア」というやつで、医者から痛み止めをもらい、そのお陰で今日の夜は少しだけ頭を高くすることができました。そうしたら、今日の夕飯は何とお箸で食べたのですよびっくり

無論、ちゃんと掬える筈がないので、こっちがお皿を持ってあげないといけないんですけどね。

曰く「自分のお箸じゃないと気持ち悪い」んだそうで…。

いやはや、頑固というか、何というか…。私はそこに戦中生まれの意地を見た気がしました。

「緩和ケア」なんて言ったって、もう検査や治療なんて受けられないからね、徐々に弱っていくのを見てるだけですよ。その間、嫌な思いをさせないように、できるだけ楽に過ごして欲しいです。

 

そんな母ですが、施設に入ろうかな…なんて言うんですね。家族の負担を考えてね。

でもねぇ、言葉も悪いし、そうせざるを得ない方々には申し訳ないが、ボケていない限り、私は施設には入れたくないんです。

右も左も分からなくなってしまったら、専門の方々にお願いしようかな、とは思っておりますが、今の段階で母を一人にしたくないんですね。

何とか父と二人で支えていられる間は、家にいて欲しいですし、できれば家で看取ってあげたい。それが現在の私の希望ですね。

こんな親不孝な娘ですが、孝行の真似事で、母の日のブーケを贈りました。少しでも季節を感じてくれたら嬉しいです。

心は折れませんが、体は折れそうなワタクシでございます。

それでも、母のケアと同時に、自分自身もケアして趣味を楽しみながら、無理せずにやって行きたいと思いますね。

あ、やっぱね、本読むの好きなんよ。ついつい時間を忘れてしまう…。

そんな感じの、母の日間近の雑感でございました。


はい、これがミニブーケですよ〜。

オレンジ系のカーネーションも可愛いよね〜爆笑


皆様こんばんわ、イギアでございます。

さて、母が退院して一月が過ぎました。

どんなもんかと言われると…色々大変です。

何しろ、頑なにポータブルトイレを使いたくない、と言うものでして。

父親に抱きかかえられ、二人がかりで連れて行く有様です。

容体も毎日違うので、全然力が入らなかったりする日もあり。それでも、トイレには行きます。

体が動かなくても、本当に意識ははっきりしてるんですよね。

意志を伝えるのはもどかしい感じですが、ちゃんと色々考えてるんですよ。

だから、頑張ってこっちが酌み取ってあげないとね。

あと、介護用品て、本当に色々あるんだなぁって思います。

色々あるんだけど、自分的に一番「イイネOK」と思ったのは「スライディングシート」なる物ですね。

ベッドに寝かせたとき、中々上の方まで上げられない、というのを解消するシートですね。

ツルツルしたループ状のシートに寝かせて下から膝を立てて、押してあげるとシートの上を滑って移動出来る、という奴ですね。

まだ買ったばかりですが、これはイイぞ。

多分介護の現場でも使ってるんでしょうね。介護士の皆様、本当にお疲れ様です。

いつもありがとうございます。

 

さて、父はそんな母の面倒を割と見てくれるんですけど。

やっぱ男はイマイチよなぁ、と思う事もある。特に下の世話とかな。

まぁ、見られるのも嫌だろうとは思うが。

それに、父の体調も心配なんですよ。疲れたとか、無理とか絶対に口にしない人だし、頑張りすぎるから。

元々丈夫なだけに、大病を患った後でも「俺は大丈夫」て思っちゃうんだろうなぁ。「俺が何とかしなきゃ」てね。

それが怖いのですよ。色々やってくれる人だから、お陰で私の負担は割と楽でありがたいのですが。

仕事行ってる最中に父が倒れでもしたら、もうどうしようもなくお手上げです。

だから、あんまり無理しないように、楽になりそうなグッズを買い込んでる訳ですなw

母はここ数日ちょっと元気がなくて、また心配です。

 

そんな感じで、自分を追い込まないように注意しながら、介護を行っております。

こうやって書いてるのも、ある種のストレス発散なので、ご覧頂いた皆様、ありがとうございます。まあ、いつもの独り言&愚痴ですので、適当に読み流して下さいませ口笛

それではまたお会い致しましょう。

暖かいを通り越して、すぐさま暑くなってしまいそうですが、どうぞご自愛下さい。

皆様こんばんわ、イギアでございます。

さて、正月から入院していた母は、今月頭に漸く退院できました。

とはいえ、左半身不随で、要介護5。意識は割としっかりしていて、食事もちゃんと食べられてはいますが…。殆ど寝たきり。

訪問診療に訪問看護、入浴介助も入れて…あと、トイレと廊下に手すりもつけて。やっと一段落と言ったところですかね。

ただ、トイレはどうしてもお手洗いでしたいらしく、父と一緒に何とかやっていました。

・・・が。何と今、今度は父の方が胸が痛むと言う事で、救急車を呼びました。まだ本人も意識はあって、しっかりしていましたが。

肺ガンに大動脈瘤と大きな病気をやっているというのに「俺がやってやらなきゃ」と頑張ってしまったのでしょう。私自身が余り役に立たないので、年老いた父に負担が回って申し訳ない限りです。

今は病院からの連絡待ちです。

父がこれで入院なんてことになったら…。

私に何ができるでしょうか。

不安でたまりません。

そんな夜の独り言です。

 

追記

父は無事に戻ってきましたが…。

それでも同じように頑張ろうとするので、心配が止まらないです。本人は「俺はストレスなんて感じてないと思ってたんだけどなぁ」なんてさ、私と同じように考えてるのが笑える。

気づいてないだけなんだよ、なんて、人には言えるのよね。

自分も自分でここんとこ腹痛が酷い…。多分過敏性腸症候群のせいだと思うけど。まあ、我慢できなくなったら病院行きます。

あと、母の下の世話は私が主にやってるんですけど、やっぱ「旦那より娘」なんでしょうかね。

父の心理、母の心理を色々と考えてみるのも面白いものです。

・・・やっぱ冷静だな、俺。

流石に昨夜は全然寝てないので、今日は仕事休みました。昨日は腹が痛すぎて帰ってきちゃったし、駄目だなぁ…。

でもしょうがないよね、と思う事にしてます。みんなに迷惑掛けるのは心苦しいけど、頑張りすぎるのだけは避けたい。

そんな感じです。昼間も寝てたのに、また眠いわ・・・。お休みなさい。

皆様こんばんわ、イギアでございます。

母が入院してもう二ヶ月…。漸く介護認定も決まりそうです。ケアマネジャーさんもやっと決まり、今度家を見に来るようです。

今月一杯くらい、放射線治療続けて、そしたら退院…になるのかなぁ?

母も帰りたいと言っていますので、頑張って迎えてあげたいと思います。

 

さてさて、そんな訳で現在父と私で食事の支度をしているのですが…。

「取り敢えず漬物とキュウリの酢の物があればOK」な父と、「食事に熱意も執着もない娘」ですから、・・・何か、違う笑い泣き

もうね、「バターで炒めりゃ何でも上手い」説を実証してる日々です爆  笑 献立考えるのも面倒だし、今までずっと食事してきた筈なのに、全然献立が浮かばないのよね。アハハ、コレステロール上等~てへぺろ 薬も飲んでるのにな。

父は漬物で、私はふりかけで。塩分上等!笑い泣き あと、悩んだら卵とブロッコリー。

シャレオツなご飯や手の込んだおかずなんて、私らには似合わないのだよ

私なんて、うっかり結婚なんてしようもんなら「嫁の飯が不味い」と言われるのは目に見えているガーン

ま、結婚しなかった言い訳ですがねw

しかし…不味い飯って、どんなもんなんだろうか? 作った本人はどう思っているんだろうか? ただ単に作ってもらった側の「口に合わなかった」だけなんじゃないのか?

なんて私は考えるのです。

作った側は美味しいと思っていたとしたら、それは悲劇ですよね。味覚が違いすぎる相手とは、絶対上手くいかないと思う。

根本的に、食事って美味い不味いより、その味が好きか嫌いかで決まるんじゃないかと思うのよね。いや、それは美味い不味いが分からない奴の世迷い言なのか…ガーン

 

そういや、孫が大学に受かったのですよニコニコ

息子の嫁さんがLINEで連絡してくれました。・・・まぁ、俺の孫じゃないけどな笑い泣き 出来た嫁さんですよ。義父の内縁?愛人?彼女?にも気配りできるなんてねぇ。尤も本当のお姑さんとは上手くいってないらしいから、尚更なんだろうけどね。

ダーリンには息子が三人いるんだが、その「三者三様の両親への距離感」というのがね、なかなか面白いのよ。人間模様というのは、いつ見ても面白いのね、自分も含めて。

ついでに、今日はダーリンの妹さんの連絡先も教えてもらいました。今更になって親戚づきあい開始ってなぁ口笛

その時、私に連絡先を見せようとしたら間違えて発信ボタン押しちゃってねぇ。妹さんも何かあったか?!て驚いたらしくて折り返し電話くれてさ。

その時、妹さんに「お付き合いしてるお姉ちゃん」がいると初めて報告したのね。HAHAHA爆  笑

ま、相当吃驚してたけどさ、年齢差を聞いたらてへぺろ

そりゃそうだよなぁ。

さて、では孫へのお祝いでも準備しますかね。好みとかは分からないから実弾でw

卒業式の写真も送ってくれたんだが、・・・どれ? てなったのはここだけの秘密です笑い泣き

 

そんな感じで父と娘のお食事珍道中はまだ暫く続きそうです。

皆様は是非、美味しくて健康的なお食事をお楽しみ下さいませ照れ

ではまた会いましょう。

皆様こんばんわ、イギアでございます。

気温差が大きくて、体が追いつかないですね。今日はお天気良くて嬉しいですが。

 

さて、年明け早々入院となった母ですが…。

どうやら大腸癌からの転移での脳腫瘍だったようです。脳腫瘍は2㎝くらいで一カ所だけだったので、放射線3回程で治療は完了したのですが。

大腸癌はもうかなり大きいようで、放射線と抗がん剤で治療はしておりますが、根治・完治は望めない状況です。

麻痺している左手も一時動くようになってきたのですが、また動かなく…。

日がな一日、テレビも見ずに寝て、人とも殆ど話さず、リハビリをするぐらいで・・・正直に言って、衰えが酷いです。

そんな母の姿を見るのは痛ましいです。

今日も見舞いに行ったのですが、帰り際に母が泣き出してしまって。まだね、ボケてはいないようだけど、それもどこまでか…。

そんな母に、私は掛けるべき言葉も思い浮かばず、ただ無力感と悲しみだけを覚えます。

分かってます、覚悟はしてます。だけど、それとは別に、やはり悲しくも寂しく、恐ろしいものです。

出来れば、家に戻ってきて欲しい。大変なんだけどさ、出来れば、家で看取ってあげたいと思っています。

 

さて、戻ってきて欲しいというのは簡単ですが、そうそう単純なお話でもないのですね。

現在介護認定待ちですが、一月以上時間がかかるようです。そこで要介護いくつか認定されて、やれ介護ベッドだの車椅子だの、バリアフリーだのの手続きを始められるようなんですね。

無論、こっちは初めてだから、全然分からない。一体いつになったら母を受け入れられるのやら。

最悪、ベッドと車椅子さえ用意出来ればいいかな、とか。手すりの工事なんてどんぐらいかかるんだろう?

ついでにそれと一緒に貯金や保険の見直しやら何やら。

まあ、うちは父が色々とやってくれるので、私にはそんなに負担はかからないんですが。

その分、父がいなくなるとなったら大変です。

それだって、別に遠い話ではないしね。

ただ、沈んでたって仕方ないから、出来ることは一生懸命やって行くだけです。

・・・よし、相続の勉強しよう。

それでは皆様、不景気な話にお付き合いありがとうございました。またお会いしましょう。