実は先日、私の小学生の頃大好きだった男の子が、亡くなりました。
同窓会で会えるものだと、信じていました。

死は、人の生き方を変えます。

今、私は寂しくて仕方がない。
だけど、今回の死をも私はいつか糧にしてしまう。
私はなんて酷い人間なのでしょうか。

生きていて欲しかった。伝えたい事が沢山あった。
このブログに綴るのは、可哀想な人間アピールがしたい為ではない。私の、生きる覚悟を記すためだ。忘れない為だ。

ごめんなさい。
もう二度と、こんな事にならないように、頑張るから。
本当にごめんなさい。


発言力を着けようと、努力した。しかし、思う通りにはいかなかった。

私は子供だ。理想が叶わなかったからではなく、まとめ役が意見を否定的に聴いたから、怒った。なんて子供なのだろうか。

今更に後悔の念が走っている。嘗められたく、無かったのに。

私はまとめ役に完璧を求めてしまった。教育者としての行動を求めてしまった。
まとめ役は、学校の責任者であった。だが、まとめ役は教育者としての行動を行えなかった。
今、そのまとめ役は、数十名の人間を導く立場にいる。だが、リーダーとして生きてはいない。与えられた責任を、最低限でしか負っていない。

私は未成年、まとめ役は五十過ぎ。まとめ役の方が、素晴らしい人間でないと納得がいかない。

やはり私は子供だ。
恥を見せるぐらいなら、死んでしまいたかった。

私の情熱は小さく扱われる。
私の思い通りに、ならなくても良い。だが、私は私の意見を蔑ろにされたくない。それは私の情熱が掛かった意見だから。

私はどうしたら良いのだろう。

魅力ある話し方がしたい。そうすれば、人はそれに魅了されるだろう。
生き方から、変えなくてはいけないのかもしれない。

私は子供だ。
だが、それを知っているから前に進める。
私は未熟なのだ。


お腹が痛い為、布団に潜りながら更新させていただく。
ブログに綴る事が、きっと良い気晴らしになるだろう。


私は女だ。
それは確かな事で、例え私が心の中で自分の性に違和感を持ったとしても(そんなものは持ってはいないが)、女として生まれた以上、私は確実に女なのだ。

そんな女である私は、自分の気持ちを取り留めもなく話し、受け止めて欲しいと望む傾向が強い。
大概の女性がそうであるらしい、と以前なにかの本で読んだが、本当にそうではないかと思ってしまう。
『私は男性脳よ』と言う方もいらっしゃるが、大概そう言う人も自分の気持ちにおいてはやはり所謂女性的傾向が強い。
ただ取り留めもない話を長く聞いていられないだけで、自分は取り留めもなく話している人間が大体、『自分は男性脳よ』と言っているような気がする。

さて、男性脳や女性脳とはなんだろう。
地図が楽に読めれば男性脳なのか? 感情的であれは女性脳なのか?
誰が何故、そう判断したのだろう。

女性の傾向、男性の傾向、などは確かにあると感じている。が、脳と言われると一気に不思議科学度がアップする。
『男性脳を持った女性、女性脳を持った男性』って、何だか変ではないか。
『男性のような性格傾向を持った女性』などと言えばいいのに。

地図が読めなければ女性脳なのか? 話が聞けなければ男性脳なのか?

はて、理解に苦しむ。

取り留めも纏まりも無いことを呟いたが実は私は『地図が読めない女、話が聞けない男』だったか何だったか、その本はまだ一切読んでいない。
知り合いとの話題に、女性脳男性脳などが出てきて、疑問に思った為に、このブログで取り留めなく綴ったのだ。
一体女性脳男性脳とは、誰が定めて誰が広めたのだろう。
今度少し調べてみたい。

因みに私は地理は苦手だ。
また、感情的である。