メキシコ 死者の日(11月1日、2日)のお話を 仲間さんがシェアしてくれました

 

「しゃれこうべの砂糖菓子を贈りあうんだって」

 

とおっしゃってて、調べたら出てきたので ↑シェアします

 

 

この 砂糖菓子のガイコツのおでこに 贈る相手の名前を書いた紙を巻くのだそう

受け取った日本人は仰天

「ガイコツに自分の名前が書いてある!!なんでだ?!」(笑)

 

死を恐れるな 死を想え

メメントモリ ですね

 

 

司祭さんのお話のシェアの ちょっとした続き

 

↑こんな感じで、砂糖菓子と言えども、しゃれこうべに自分の名前つきでプレゼントされたら

大混乱&仰天&やめてくれ~!!

 

なのが 現代日本や、欧米の大多数の人なのではないかと思います

 

なぜならば 現代人は

 

『死を排除している』

からだそうです

 

死が 誰にも 平等に訪れるのを知っているのにも関わらず

忌避している 恐れている

 

 

司祭さんは

 

「死は生の変容である」

と言ってました

 

だから 死は終わりではないし 恐怖するものでもない

わたしは まったく賛同します

 

 

わたしが 司祭さんの話で 強く強く面白いと感じたのは

 

『死者の静けさ』

です

 

〝絶対的な静けさ〟

を持っているのだそうです、死者は

 

そして 彼らは意識を失っていない

眠りに落ちるよりも、死は暴力的ではない

なぜなら 眠りに落ちる時、意識を失うけれど

死ぬとき、意識は失わないからだ、とおっしゃってました

 

「眠るとき、意識を失う。この方が暴力的ではないですか?皆さん、これが怖くないんですか?」

とおっしゃってました

いきなり眠りの世界に落ちる

シャットダウン!!

ブラックアウト!!

 

よく考えると、結構イヤじゃないですか?このシャットダウンっぷり

ちっとも自由じゃないし(笑)

 

〝眠りに落ちるよりも 死は優しきもの〟

 

だったら、眠りよりも 死は 大歓迎(笑)

 

 

そしてこの静けさを 秘儀参入者は持っている

 

死者と同じ静けさを

 

なぜならば、彼らは生きているのだけれど、自ら死の中に入って行っているから

 

『キリストの内に死す』

 

ほんとうに 死は 恐れるべきものではない

 

そして

 

『聖霊によってよみがえる』

 

の ですから

 

死は終わりではなく ただ 何かが変わったもの

 

 

死者において 死とは 肉体の機能が止まるだけ

 

秘儀参入者において 死とは 意識が変わるだけ

 

とも言えるかなぁ…

 

 

死の世界に 自ら 入って行く

それが 次なる旅 じゃないかな

 

恐れるべき死ではなく

死からよみがり、新しい生を生きる 旅 です

 

 

わたしは

〝絶対的静けさ〟

を持つ 生きている人に

何人も巡り会えていると 感じております

 

感謝 しあわせ ついてる…!!(笑)

 

 

 

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