メキシコ 死者の日(11月1日、2日)のお話を 仲間さんがシェアしてくれました
「しゃれこうべの砂糖菓子を贈りあうんだって」
とおっしゃってて、調べたら出てきたので ↑シェアします
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この 砂糖菓子のガイコツのおでこに 贈る相手の名前を書いた紙を巻くのだそう
受け取った日本人は仰天
「ガイコツに自分の名前が書いてある!!なんでだ?!」(笑)
死を恐れるな 死を想え
メメントモリ ですね
*
司祭さんのお話のシェアの ちょっとした続き
↑こんな感じで、砂糖菓子と言えども、しゃれこうべに自分の名前つきでプレゼントされたら
大混乱&仰天&やめてくれ~!!
なのが 現代日本や、欧米の大多数の人なのではないかと思います
なぜならば 現代人は
『死を排除している』
からだそうです
死が 誰にも 平等に訪れるのを知っているのにも関わらず
忌避している 恐れている
*
司祭さんは
「死は生の変容である」
と言ってました
だから 死は終わりではないし 恐怖するものでもない
わたしは まったく賛同します
*
わたしが 司祭さんの話で 強く強く面白いと感じたのは
『死者の静けさ』
です
〝絶対的な静けさ〟
を持っているのだそうです、死者は
そして 彼らは意識を失っていない
眠りに落ちるよりも、死は暴力的ではない
なぜなら 眠りに落ちる時、意識を失うけれど
死ぬとき、意識は失わないからだ、とおっしゃってました
「眠るとき、意識を失う。この方が暴力的ではないですか?皆さん、これが怖くないんですか?」
とおっしゃってました
いきなり眠りの世界に落ちる
シャットダウン!!
ブラックアウト!!
よく考えると、結構イヤじゃないですか?このシャットダウンっぷり
ちっとも自由じゃないし(笑)
〝眠りに落ちるよりも 死は優しきもの〟
だったら、眠りよりも 死は 大歓迎(笑)
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そしてこの静けさを 秘儀参入者は持っている
死者と同じ静けさを
なぜならば、彼らは生きているのだけれど、自ら死の中に入って行っているから
『キリストの内に死す』
ほんとうに 死は 恐れるべきものではない
そして
『聖霊によってよみがえる』
の ですから
死は終わりではなく ただ 何かが変わったもの
*
死者において 死とは 肉体の機能が止まるだけ
秘儀参入者において 死とは 意識が変わるだけ
とも言えるかなぁ…
*
死の世界に 自ら 入って行く
それが 次なる旅 じゃないかな
恐れるべき死ではなく
死からよみがり、新しい生を生きる 旅 です
わたしは
〝絶対的静けさ〟
を持つ 生きている人に
何人も巡り会えていると 感じております
感謝 しあわせ ついてる…!!(笑)
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